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天皇行法(天皇神道)

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日本とはどんな国?:天皇行法(天皇神道)/斎藤 敏一
作成:2017年12月14日、最終更新:2018年5月5日
 
●『日本とはどんな国』(佐藤定吉著)について
 
 佐藤定吉博士(1887-1960)の遺作『日本とはどんな国–秘められた人類救世の原理』は、私のあじまりかん関連著作において決定的な影響を及ぼした本である。
 何が決定的だったかと言えば、山蔭神道が「天皇行法」を伝承する古神道系の教派神道団体であり、別名「天皇神道」とも呼ばれていることを知ったからだ。
 「天皇行法」という名前については、故山蔭基央師の多くの著作のどれかで読んだことがあるかも知れない。だが、その意味も含めて理解したのは佐藤博士の前掲書を読み返したからこその出来事であった。
 天皇行法の実体が「自霊拝」と「あじまりかん」であることが初めて分かり、それらの行法に重大な意味「日本国家成立と存続、全人類の救済に関わる根本的な存在価値」があることを初めて公開したのが『日本とはどんな国』だった。

図1:日本とはどんな国表紙
図1:日本とはどんな国表紙

 『日本とはどんな国』において佐藤博士は、天皇行法というものが存在することを日本に知らしめた。その功績は極めて大きいと言わねばならない。
 しかしながら一方では、同著は私にとっては極めて問題が多いと感じさせる著作であった。具体的には、以下のような大きな問題が存在する。

①キリスト教的な偏向
 天皇行法(「自霊拝」と「あじまりかん」)に関する解釈が、完全にキリスト教的な観点(信仰的側面と聖書学的な側面がある)で色付けされている。
 先ず、天皇行法をキリスト教で解釈すべきではない。なぜなら、天皇行法はキリスト教ではなく日本古来の神の道(本来の意味での神道)だからである。
 天皇行法を解析対象とする場合には、自分が実践して体得・体感した事柄のみを対象として、それらの事柄を科学的にどのように解釈するかという方法論が必要である。佐藤博士は化学(プラスチックの工業的開発)という分野で世界の第一人者であった。だから、核物理学などの科学的観点が存在している点に関しては私と同様であり、宗教一辺倒ではない点が評価できる。
 しかし、佐藤博士の解釈方法は完全にキリスト教の信仰と理論に立脚したものであり、その部分については無視するか、あるいは、キリスト教抜きで再解釈せざるを得ない。

②日本史の知識が古過ぎる
 私とは日本史、特に古代史の理解が全く異なる。佐藤博士の日本史の知識は、戦前の内容であり、神武紀元が2600年前ということになっており、全く受け入れられない。当然ながら、最近の考古学的な知見が反映された日本古代史ではなく、戦前の歴史教育の知識がそのまま登場する。佐藤博士の日本史解釈は、完全に最新の考古学的成果によって置き換えられなければならない。
 特に、「あじまりかん」と「自霊拝」が天皇行法として成立した年代については、戦前の歴史教育における神武紀元ではなく、「応神天皇=神武天皇」という関裕二史観に基づいて推定しなければならない。関裕二史観に従えば、天皇行法の成立時期は大和建国直前、すなわち、応神天皇即位の実年代であると考えられる西暦270年前後(±20年~±30年の誤差を含む)と考えなければならない。
 また、佐藤博士の天皇行法解釈においては、誰が応神天皇に天皇行法を授けたかという観点が抜け落ちている。架空の存在である天照大神が天皇行法の産みの親ではないのだ。
 生きた人間として歴史を歩んだ実在の人物・アメノヒボコ=住吉大神=武内宿禰こそが天皇行法の産みの親なのだ。また、アメノヒボコこそ、大物主神として三輪山に祀られている天皇霊なのである。アメノヒボコは天皇霊となった実在の人物であり、日本建国の主体となった存在=国祖=建国の父なのだ。そこをハッキリさせない限り、日本建国の意味も天皇行法の意味も明確にならないのである。
 拙著『アジマリカンの降臨』における天皇行法論においてはっきりさせたかったのは、日本建国と天皇行法がワンセットだったという事実である。天壌無窮の神勅や同床共殿の神勅は天照大神という架空の女神によって与えられたものではない。
 それらの神勅は日本建国時にアメノヒボコが太陽神より授かったものである。私の直観を裏付けるような物的証拠は全く存在しないのであるが、状況証拠は「アメノヒボコが日本建国の父であり、わが子である応神天皇に天皇行法を授けた」という驚くべき事情を物語っている。
 日本国の天壌無窮性(永遠に存続し繁栄すること)を謳う天壌無窮の神勅は、大元霊=造化三神=宇宙創造神の言霊としての「あじまりかん」の使用説明書となっているのである。斎藤が神=「あじまりかん」から教えられたこのような物語は、余りにも突拍子のないものと受け取られる可能性が高いものだが、やがて物的証拠が出てくることによって証明されるであろう。

③物理学の例題の使い方が不適切
 佐藤博士は神の国の永遠性を示すものとして、湯川秀樹博士の中間子理論を採用しているが、例題として不適切である。原子核を構成する陽子と中性子がパイ中間子を交換することで永遠なる世界を構成すると説くが、単純に間違っている(永遠であるかのように見える陽子や中性子の寿命も有限であることが分かっている)。

湯川秀樹博士中間子理論記念切手
図2:湯川秀樹博士中間子理論記念切手

 最近の物理学は、湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞した1949年よりも混迷の度合いを深め、病的な状況となっている(説明すると長くなるのでまたの機会に・・・)。よって、現行物理学は神の国の永遠性を喩えるための材料としてはさらに不適当である。佐藤博士が現役として働かれていた時代に最新だった中間子理論は現在でも有効だが、その理論を「神の国の永遠性」を説明する素材として使用する際の扱い方に問題があり、全く証明の役には立っていない。

④古神道(山蔭神道)理論の理解不足
 佐藤博士が天皇行法を知ったのは亡くなられるわずか三年前だったので無理もないことだが、古神道(山蔭神道)理論の理解が不足していた。せめて大元霊(造化三神)や一霊四魂について基本知識を得ておられたら、斎藤と同じ結論にまで到達できたと思われる。また、当時は山蔭基央師も若く一家を構えたばかりの頃であり、著名な著作群も存在していなかった。学ぶべき古神道の教材が不足していたので、仕方がなかったと言うしかない。


 佐藤定吉博士の遺作『日本とはどんな国』には、上記のような問題点があることをしっかり踏まえておかないと、大切な情報を見失ってしまいかねない危惧がある。
 さて、以上を前置きとして、『日本とはどんな国』の本文を読んでいくことにしよう。同著の白眉とも言える内容は「第一編 聖書相応の国日本」の以下の章である。

☆第四章 天皇行法(天皇神道)
 第五章 天皇行の核心
 第六章 天皇行の神髄
 第七章 天皇行の『あじまりかん』

 この記事のシリーズでは、第四章より順次『日本とはどんな国』の本文をそのまま掲載すると同時に、各章の気になる部分について解説やコメントを挿入する。実際のところ、『日本とはどんな国』の著作内で最も重要と思えるのが上記の四章分であり、残りは不要と思えるものだ。どうして残りは不要なのかと言えば、氏の文章は前述の問題点を大いに含んでいるため内容が正しく伝わらない恐れがあるからである。特にキリスト教や古代史認識に関連したバイアスがかかっており、素直に読めない(少なくとも斎藤は大いに引っかかった)からである。
 本項では、「第四章 天皇行法(天皇神道)」の全文を紹介する。

 天皇行法(天皇神道)
 

第四章 天皇行法(天皇神道)

(一)国家の中心核

 亭々と天を衙く大樹には、必ずその高さに比例して、それよりもさらに深く、さらにひろい根が用意されている。
 日本は三千年の樹齢に生きぬく一つの巨大な樹である。
 天皇はその幹である。その幹には、日本文化という枝が伸び、そこに美しい花が咲き匂っている。
 けれども、日本国家を生かしている根は、地下に深くひそんで人の目から隠され、ただ九重の奥深いところにのみ、『天皇行法』として、三千年の齢を『神』と一体に交流しつつ今日にいたっていた。
 この偉大な深い『いのちの根』があったればこそ、日本史上にもろもろの文化の花は咲き、その果実はみのったのであった。ところが、不思議に思うほどに、この『根』を、未だ曽つて民草の一人も見たものはなかった。
 『根』は一般に隠されているのだが、日本の『くに』の根も同様であった。
 大自然の在り方を知るもののすべてが、熟知するところは、『根』の生命力の方が、上部の外形の幹や枝葉の伸長よりも、より強大である時に、樹はよく成長する。けれども、このバランスが外れると、木は枯れて了う。
 ゆえに、これまで隠されていた『天皇行法』の根の中に躍動する天的生命力は、日本歴史の経過から見て、世の権力、武力、経済力、外国の侵略など、すべての力を合わせたよりも、より強大であったことがわかる。
 そうでなしに、二千六百年にわたる日本歴史(*)の史実は、生まれなかった筈である。

(*)「二千六百年にわたる日本歴史」とあるが、これは神武建国以来二千六百年経過したという、戦前の歴史観に基づく年数である。筆者は、初代天皇である神武と十五代天皇である応神は同一人物とする関裕二氏の古代史観を採用している。関裕二史観に従えば、この年数は訂正が必要である。応神の即位は一般に4世紀~5世紀頃とされるが、実際には3世紀後半と考えられる。よって、応神即位年より現在までの経過年数は約千七百五十年である。
 また、佐藤博士の日本古代史には「縄文の視点」が全く存在しない。文中の「この偉大な深い『いのちの根』」とは、一万五千年にわたる縄文時代のご先祖の営為を指し示していると再解釈すべきである。なぜならば、縄文人がそのまま弥生人となり、弥生人が現在の日本人となっており、その流れには一切断絶がないからだ。

 ところが、今日まで有形の史実については、多くの人々がこれに検討を加え、研究をつづけて来たが、その本源の『根』については、未だ誰人もこれを研究し、それを学術化したものはなかった。
 このたび、端なくも導かれて、この『根』について学び知ることを得、その『根』の智見をもって、これまでの日本学や国学研究のあとを見ると、丁度原子核が、鮮明になったのちに、昔の古典科学当時の考え方を見る心地がせられる。
         ×          ×          ×
 思うに、徳川時代、宜長などの復古神道の勃興によって、外来宗教混入のために、不純化されていた、日本神ながらの道が純粋化され、肇国当時の純度に近づいたかに見えたが、それは丁度、原子核科学でいうと、ウラニウム鉱を、その不純物から分離、精製して、純粋度を高めたという程度のもので、まだ原子核内の爆カエネルギーは、そのまま睡眠状態をつづけ、発動状態になっていない。つまり、一つの中間の選別工程が加えられたというに止まった。
 今回の『天皇行法』の光は、まさに日本国家生命の原子核内部の構造の在り方が、明白になったに相当する驚くべき事実であると思う。
 換言すれば、これまでの二千六百年の経過は、古典科学の準備期にあたると思う。現在と今後の日本国家こそ、日本本来の『いのち』に内包される真実の偉力を所定の道に発動させる原子核新時代に躍進する転換期を迎えているのだといってよい。
 それでは、それほどに偉大な「神の力」の秘庫である『天皇行法』とは、どんな内容のものであろうか。
 次にその梗概を語るであろう。

(二)扉の開かれるまでの筋道

 まず、『天皇行法』を知るにいたった筋道を語ろう。
 『天皇行法』は、皇祖天照大神の当初から伝えられ。初代天皇以来歴代の天皇が、身をもって御親裁遊ばされた秘法である。『すめらみこと』(天皇)とは、この行法を身をもって修正し、その行法の『いのち』が、御身の中にIncarnate(化身・受肉)なされた御方をいうのであった。
 すなわち、天皇の御資格は、この行法の修行完了にある。この行法修行によって、天皇の位格が定まった。それほどに重大かつ神秘のものであるから、これを厳秘中の厳秘として保有されたものであろう。
 ところが、応神天皇の時代にいたり、内外多端のため、天皇御親裁ではことを欠くことが多く、側近のうちより霊能ゆたかな臣下を選んで、その行法を司(つかさ)どらしめ、研鑚を積ましめた。
 その司の家筋が、当時から今日まで約一千六百年にわたって存続し、七十九代相続している。この家筋の人々は、天皇の背後にあって、専心その道を修行し。たえず天皇に奉仕し奉った。
 天皇の蔭に侍して、奉行申し上げるから、その『天皇行法』のことを、別名では『天皇神道』または『山蔭神道』と称している。
 『山』とは天皇の御事、『蔭』とは、その背後に侍ることである。長年にわたる研鑚の記録は、これを禁書秘録と称して、天皇とその司の外には、誰人も見ることが厳禁されて、今日にいたっている。
 しかるに、日本の国家にとっても、ついにこれを世界に公表すべき『天の時』が到来し、日本の有史以来、民草も始めてこれを知ることができるようになった。
こうした特別な神の巨手の動きは、不思議にも、今次大戦による敗戦を一つの天機として扉は開けて来たのである。
 全くこの一事は、日本にとって、『復古の主』を仰ぎ見たイエスの弟子たちのよろこびに似たものがある。
 この天皇秘録の公開と共に、期待される『日本魂』の復活(**)は、確かにイエス・キリストの復活のような一新紀元を日本国家に画するものになることが信じられる。
 新日本は、いま誕生しつつある。
 この新誕生をさせてくれたものが、誰あろう。日本開闢以来、始めての『敗戦』という未曽有の苦難であったことは、全く人の思いを越えた神の奇蹟的な聖手のわざとしか考えられぬ。神の摂理を感謝したい。

(**) 佐藤博士の著作によって果たして『大和魂』の復活が成ったかかどうかであるが、これは一つの予言として捉えるべきであろう。
 真の大和魂の復活は、私達の「あじまりかん運動」にかかっているのではなかろうか。博士が把握し得た天皇行法の真義と新日本の息吹を斎藤が引き継いだからこそ、「あじまりかん」の本質が正しく理解され、今やぞくぞくと「あじまりかん行者」が誕生しつつある。「あじまりかん行者こそ真の大和魂の体現者である」というのが、斎藤の見解である。

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 次に、筆者がこの天皇行法を知るにいたった筋道を一言語っておきたい。
 昭和三〇年九月から昭和三二年六月まで米国に第七回目の講演旅行をなし、帰朝後、同年八月に帰朝報告の講演をなした。その時、上記山蔭神道の当主(故山蔭基央師)に面会し、同氏は次のように希望された。
 『自分の家筋は、山蔭神道と申して、応神天皇以来今日まで、『天皇行法』を司どり、天皇御自らが行ぜられる神道の秘法をお預かりしている家柄である。自分は若くしてその家を嗣ぎ、その任務を果したいと、日夜努力しているが、敗戦後の日本は、どうしてもこれを日本だけでなく、国際的にも紹介したい。
 ついては、今までのような国学者では、その目的を達しかねる。何としても、欧米文化の中心力である科学と、さらにキリスト教に通暁されている人の援助を必要とする。あなたが、その人であることを信ずるから、この日的のために協力して欲しい』ということであった。
 もとより著者自らにも、そのことを多年求めていたことであるから、微力その大任につき得ないことを恐れながら、とにかく全力を尽して御協力中上げることを応答した。
 その時から今日まで、まだ僅かに満二ヶ年の短かい歳月であるから、その詳細については承知し得ないことが数々あるが。その骨子については、略々(ほぼ)握り締め得たかに思う。
 本著にある『天皇行法』のことは、その家筋に伝えられた天皇神道の記録と、その伝統の行法に基づき、著者がその後継者から直接に学んだ内容を主体となし、その上に著者自らが、生涯を通じて体得体信し、白分の血と肉になっているキリストの福音信仰と、また他方に著者専攻の見地から見た体験と智見を加えて、著者の心と頭脳に『これならなるほど真理だ。欧米人のどんな学者がこれを学んでも、そこには一つの疑問も起らないであろう』と思われるように、筋道を正して、天皇神道の真髄だとうけとられるところに、近代的な註釈を施したものである。
 ゆえに、もしそこに何らかのあやまちがあったとするならば、それは著者の学識と体験の未熟によるもので、責任は筆者にある。これを取りついでくれた山蔭神道にはない。この一事をあらかじめ特筆しておきたい。
 さらに一言を加えておきたいことは、山蔭神道の伝える主体は『行法』であって、決してこれまでわれらが西洋キリスト教や科学や哲学を学んだ時のような智的理解ではない(***)ということである。

(***) 確かに山蔭神道は天皇行法としての「自霊拝」や「あじまりかん」を修行として人々に伝えている。だが、山蔭神道の前管長である故山蔭基央師は数々の古神道関連著作を世に問われた方でもある。筆者などは40年前(学生時代)から山蔭師の著作群を通じて山蔭神道理論に親しんでいた。
 「西洋キリスト教や科学や哲学を学んだ時のような知的理解ではない」というのは正しくない。古神道の哲理、特に大元霊と一霊四魂に代表される古神道霊学は非常に科学的であり、過去の修行者が認識し得た宇宙観や人間観を雄弁に物語っている。古神道の先人たちが蓄積した霊学は「霊的科学」とでも言うべきものであり、神と人間を理解するための必須理論である。特に山蔭神道に蓄積された伝承群は極めて優れたものであり、学ぶべきものが多いということを強調したい。
 古神道の霊学については、故山蔭基央師の『神道の神秘』に簡潔に紹介されているので、ご興味のある方は是非とも参照されたい。

 その中心的主体となる『行法』は、『霊知り(ひじり)』の領域の中にあるので、イエスが、『神は霊なれば、拝するものも、「霊とまこと」をもて拝すべし』(ヨハネ伝第四章の二十四)と喝破されているように、『霊のまこと』のみをもって霊解すべきものである。ゆえに、キリスト教信仰だけが主体になっている著者には、その奥義の真諦のすべてをことごとく悟得しうる筈はない。
 僅かに大海の一滴を味わった程度であろうことは、よく自ら承知している。
 そして五十数年の聖書信仰の体得と、科学研究という眼鏡を通じて見た一智見に過ぎないので、この点は後世に批判されることが、必ずありうると思うが、著者は、その批判を甘んじて、受けたいと思っている。現在の著者には、この一事以外になすところを知らない。これがただ一つのささげうる奉仕のすべてであるからである。
 これによって、これまで神秘の幕の彼方に深くとざされていた日本国家の秘義の真相(天皇行法の実態である。天皇行法そのものが日本国家の中心核であると喝破した佐藤博士は優れて霊的感受性が豊かな方であった)を、幾分でも世界に紹介し、今後の完成者のために、靴の紐の一端を解くことでもゆるされるならば、著者が今日まで、日本人として存在させられた目的に叶うことが出来るので、それを無上の光栄に思うのである。
 以上、後章の『天皇行法論』を綴るにあたり、後世の誤解のないように、書き添えておく。  

天皇行法(天皇神道)  完