あじまりかん=ドラゴンボール説(1)

生命の樹を彷彿とさせる巨樹(ブナの巨樹)
本当の話:あじまりかん=ドラゴンボール説(1)/斎藤 敏一
作成:2017年11月7日、最終更新:2017年12月19日
 
●アニメから「あじまりかんの正体」を理解する
 

 突然アニメの話で驚かれるかも知れないが、これは真実の話である。
 アニメ好きの方ならご存じだろうが、ドラゴンボールZに登場する悟空の「元気玉」というものがある。この元気玉とは、ドラゴンボールZの主人公である悟空が強敵と闘う時に、最後の切り札として使うプラズマ兵器の如き光の球のことだ。まだ、このような兵器は地球上には存在しないが、宇宙のどこかには存在するだろう。元気玉をご存じない方は、グーグルなどで画像検索されれば、元気玉とはどんなものかすぐに分かるだろう。
 アニメの題名となっているドラゴンボールとは本当は悟空の元気玉なのである。アニメでは、悟空たちが願いを叶えたくて神龍(シェンロン)を召喚するという目的で、世界中から捜し出して集める7個の玉をドラゴンボールと呼ぶらしい。だが、私の見るところ、7個の玉は神龍を召喚するためのパスワードに相当するものでしかない。神霊的な観点では、神龍こそが「真のドラゴンボールである元気玉」の管理者である。本来、神龍の上には神さま(神龍を支配している)がいるはずだが、アニメでは登場しない。
 さて、この超兵器である元気玉こそが真のドラゴンボールなのだが、アニメの設定は真実からはほど遠いものである。以下、アニメの元気玉について誤りを正そう。

図1:元気玉とは光り輝く銀河のような渦エネルギーだ

(1) 元気玉の作り方
  アニメ:生きとし生けるものから元気を奪って作られる
  真実:宇宙神界で無尽蔵のエネルギー(=大元霊)から作られる

(2) 元気玉の用途・目的
  アニメ:敵を倒すための破壊&殺人兵器
  真実:生きとし生きるものに元気を与える活人兵器(?)

(3) 元気玉の利用者
  アニメ:悟空しか元気玉を使えない
  真実:誰でも好きなだけ元気玉を使うことができる

 以上のように、真の元気玉であるドラゴンボールは誰でも使えるのである。悟空のように超人的な(カンフー)修行をする必要はない。そして、使う人の器に応じたパワーを、その人や周囲の存在たちに無条件に与えるのだ。
 ここで、「元気玉」を「あじまりかん」と置き換えてみよう。私が、ここでドラゴンボールの話をしている意味が少し分かりかけてきたのではなかろうか。

 アニメの元気玉は問題あり過ぎ!
 
 実は、私は子供と一緒にドラゴンボールZのアニメを毎週楽しみにして見てきた人間だ。原作者の鳥山明氏には何の罪もないのだが、私が神界に行って見てきた(これはあくまでも比喩であり、一種のビジョンとして観察された)ドラゴンボールとは、巨大なアジマリカンの渦だったのだ。宇宙神界に実在するドラゴンボール=元気玉とは「あじまりかん」だったのである。
 
図2:余りにも禍々しいアニメの元気玉
 
 アニメの元気玉の何が問題かと言えば、人殺しの兵器となっていることであり、極めて禍々しいのである。たかが子供の見るアニメなので、別に目くじらを立てる必要はないのだが、神界で神々が準備している超巨大な元気玉を見てしまったので、アニメのイメージは本来の元気玉からはかけ離れた邪悪なものになってしまっていることが分かったのだ。
 
真の元気玉とは「あじまりかんの玉」である!
 
 私が、つい最近見たビジョンでは「巨大なあじまりかんの元気玉」が神界に準備されており、2017年末から2018年以降に、大盤振る舞いされるのを待っている。元気玉を配るのは、このブログの読者、つまり、「あじまりかん友の会」とその関係者(主に拙著の読者)のようだ。
  真の元気玉は「人を活かす玉」で、神界から無料で配布されるエネルギー(=究極のフリーエネルギー)なのである。先ず、「あじまりかん」を唱える人に真の元気玉=ドラゴンボールが配給される。そして、唱えている人から周囲の人たちへと元気玉が分かれて配布されてゆくというイメージである。図1の銀河のような渦と光の玉ができると思っていただければよい。
 真の元気玉はフリーエネルギーなので、どれだけ唱えてもタダである。何しろ、エネルギーの供給元は宇宙神界であるから、使っても使ってもなくなる心配はない。悟空は「みんなオラに少しずつ元気を分けてくれ」などと言いながら元気玉を作るのであるが、これが全く違っているのだ(アニメでは人から元気を奪うことで元気玉を作るという、全く愚かしいコンセプトになっている)。
 本当の元気玉とは「あじまりかんの玉(=神さまのエネルギーボール)」であり、神界から無尽蔵のエネルギーが降りてくるのである。使う人(「あじまりかん」を唱える人)の器に合わせて、神さまのエネルギーが流れることになっている。全て自動的に神図り(かむはかり)に図られて、エネルギーが流れるのだ。
  エネルギーがどのように流れ、どのように使われるのかについては、項を改めてお話ししたい。