あじまりかんは科学だ!

あじまりかんは科学だ!/斎藤 敏一

作成:2017年11月5日、最終更新日:2017年12月22日

 

◎「あじまりかん」の持つ性質

 私達が唱えている「あじまりかん」には、次のような特徴があります。

  • 「実践のみ」=とにかく唱えるだけである
  • 「現実重視」=日常生活や仕事を大切にする
  • 「検証可能」=生活面で色々な変化が起きてくる
  • 「自己点検」=反省力が付くので自分が見えてくる
  • 「霊性開発」=神さまの存在を身近に感じるようになる

 上記の「あじまりかん」の特徴は、「あじまりかん」を唱えながら現実生活を送る上での留意点や特性を列挙したものです。

◎「あじまりかん」と神の関係

 「あじまりかん」は一つのメソッド(方法論)です。
 一つのメソッドであるとは言え、「あじまりかん」が素晴らしいのは、「神の顕現」が体験可能であるという事実です。ここで言う「神の顕現」とは、「あじまりかん」を唱える人の中に神が実体として降臨するという事実です。その時神が降臨するだけでなく、最終的には唱える人の中に神(=あじまりかん)が入ってしまうということです。「あじまりかん」がもたらすこの効果を「神の直接体験」と呼びます。
 そのことに関してはいくら説明しても駄目で、実際に各人が「あじまりかん」を唱えることによって直接体験していただくしかありません。
 ここで分かるのは、「あじまりかん」を唱えるという行為は過去の「あじまりかん」実践者によって積み重ねられた経験智であり、「信仰という要素」は少ないということです。これは、約二千年間唱え続けられたという大神呪「あじまりかん」ならではの特徴です。私は、ここに古神道(=山蔭神道、天皇神道)の科学性を見出したのです。

 「あじまりかん」に関して信じる要素があるとすれば、一つだけ信じ方がよいと思われることがあります。それは、『唱える以上は「あじまりかん」を信じた方が早く効果を実感できる』ということです。「あじまりかん」を薦める人間が、「あじまりかん」の効果を信じていないのでは話にならないからです。
 とは言うものの、私の場合は実際のところ「あじまりかん」を信じているのではありません。私の中に「あじまりかん」という実体(波動的な実体です!)が入ってしまっており、自分が「あじまりかん」なのか、それとも「あじまりかん」が自分なのか区別できなくなったということです。「あじまりかん」を「神」と置き換えれば、「神人一如」となってしまったのです。これは、「あじまりかん」を唱える人が必然的に辿り着く境地です。
 今さら「あじまりかん」を信じるかどうかを議論すべき段階ではなくなってしまったということになります。
 
◎「あじまりかん」は科学です!

「あじまりかん」はスマホのように使え!

 「あじまりかん」を唱えれば人は神人となる。

 あじまりかん友の会では、『上記の「あじまりかん」の効果を科学として実証』します。これは科学者や技術者の発想であり、宗教家のそれではありません。
 スマホやiPhoneで電話をしたりメールをしたりするという行為は、誰もが普通にやっていることです。つまり、信仰心でスマホやiPhoneを使っている人はいません。

 『「あじまえかん」を唱えれば願いが叶えられて幸せになる』ということが事実として証明されたと仮定しましょう。
 そうなれば、誰も「あじまりかん」を信じて唱える必要はなくなります。「幸せになる」ことを知っているからこそ「あじまりかん」を唱えるのです。「あじまりかん」は誰でも使えるスマホのような言葉です。だから、「あじまりかん」はだだ唱えればよいのです。


 『「あじまりかん」の正体は神(宇宙創造神・大元霊・最高神)である』ことが科学的に証明されれば、世界中の誰もが喜んで「あじまりかん」を唱えたり念じたりするようになるでしょう。今のところ、そのことを確信しているのはこの私・斎藤(+アルファ)ですが、やがて科学的に、あるいは、実験的に確かめることが可能になるというのが私の予言です。

◎「あじまりかん」は効く=>「あじまりかんの科学」の樹立

 「あじまりかん」を唱えると、唱えた人に何かが起きること。つまり、「あじまりかん」が効くということ。これは、今年の夏以降、日本のネット界で巻き起こった「あじまりかん旋風」的な盛り上がりからして間違いなさそうです。
 今後は、多くの方の「
あじまりかん体験」を集約して、誰もが自信を持って「あじまりかん」を唱えてゆくことができるように、方法論的に深化・進化させてゆくことで、「あじまりかんの科学」を確立します。それが、「あじまりかん友の会」の役割ではないかと考えます。
 「あじまりかん友の会」は、『ただ「あじまりかん」を唱える人々』が学んだり、情報交換したり、交流したりする場として存在することに意味があるのです。

【参考資料】
・『あじまりかんの法則』斎藤敏一著
・『アジマリカンの降臨』斎藤敏一著