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神道新教教会本部訪問記

神道新教教会本部訪問記/斎藤 敏一
作成:2023年1月25日、最終更新:2023年2月6日
 
 

◆神道新教教会本部訪問記

◎教会を知った経緯
 2022年の八月に、姫路の友人Mより「姫路郊外に神道新教教会というすごい神社(神さま)がある」という話を聞いた。同教会(宗教法人)の開祖は雲丹亀(うにがめ)いと子様で、現在は三代目の雲丹亀洋介氏が代表をされていることが、Mと電話で情報交換して分かっていた。


 先ずは、雲丹亀洋介氏に電話でご挨拶して、「9月になったら取材を兼ねてそちら(教会本部)にお参りしたい」とお伝えした。名前の「雲丹亀」はとても珍しいもので、姫路の教会本部近在特有のものらしかった。

◎大阪で本誌執筆者と会合
 同教会の訪問は九月十一日だったが、前日の十日は新大阪で、本誌の執筆に協力いただいている岡本氏(奈良在住)と魚田氏(大阪在住)に会った。二人とは旧交を温めたり、今後の原稿依頼について合意事項を確認したりという目的で数時間を過ごした。


 三人で新大阪近辺の神社・中島惣社にお参りし、ついでに記念撮影。岡本氏とは途中で別れ、魚田氏の案内でお初天神(露天神社)や摂社の水天宮・金刀比羅宮にお参りした。お初天神だったからであろうか、決して人が多かったわけではないが、気持ち的に賑やかだったという印象が残った。


 お初天神については、魚田氏は御神業も関係していたようで、色々と思い出深い場所だということが分かった。氏と御神業の関係については色々と伺ったのだが、その件は本人の寄稿を通じて語っていただくことになるだろう。

◎姫路へ移動し大谷氏と待ち合わせ
 新大阪で魚田氏と別れ、十日の予定は完了した。筆者は、明日の神道新教教会訪問に備えるため、新快速に乗って姫路に移動した。


◎神道新教教会本部に移動
 翌十一日十時頃に、姫路市内五軒邸の大谷充氏の運転する車で神道新教教会本部を訪問した。
 招じ入れられた同教会の神殿では、当日の行事となっていた、礼拝と祝詞奏上を、雲丹亀洋介氏の先導で(一時間余り)ご一緒することになった。


 続いて和室で、雲丹亀氏から同教会の歴史や教祖様(おやしろ様、雲丹亀いと子様)のお話を伺った。

   雲丹亀洋介氏

 大正時代当時、著名な折口信夫(歌人・釈迢空)氏から教会のほうに、教祖様を讃える歌が贈られた。その歌とは「あたらしき 教えをひらく 人出でて はりまの山田 人しりにけり」というもので、以下の掛け軸になっている。


 お話の後では、教会の敷地内を案内していただいた。水行をする小さな滝や不思議な感じのする池などを見せていただき、おやしろ様がなさったことの一端をうかがい知ることができた。

    お滝場

◎教祖様は「おやしろ様」だった
 教祖様については、非常に高貴なお方であると感じていたが、当日いただいた資料『おやしろ様の生いたち』ではっきりと裏付けられた。おやしろ様という呼び方は「教祖様がいつも親神様のおやしろとなっておられる」という意味だろうと思われる。
 余りにも尊い神さまが入っておられるので、神がかった時に見分けられる人が一人もいなかったと伝承される。宇宙の最高神(造化三神と別天神五代、何百柱もの金神)がそのまま降りておられるような神人だった。写真に撮ることができない、つまり、姿のない宇宙の親神様を体現された神人であった。


 当日は編集子も神殿内でおやしろ様の写真を撮ったのだが、なぜかぶれたり滲んだりして普通の写真としては撮れていない。完全な失敗だ。
 これほどの教祖様が過去の日本宗教界に存在したかと言えば「否」であろう。
 いただいた資料を読むことで、おやしろ様が空前絶後の人物(ほとんど神さま)だったことを、確信できた。しかも、おやしろ様は日本の宗教界でもほとんど知られていない。改めて本誌で詳しく紹介したいという気持ちになっている。近日中に再登場していただき、教えをご紹介する予定である。乞うご期待。

◎大谷充氏のこと
 なお、当日快く、車でホテルまで駆け付けていただき、同教会まで送っていただいた五軒邸(ごけんやしき)の大谷充氏にはお世話になりました。


 大谷さん、今後ともよろしくお願いいたします。

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