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護国神社に行ってきました

護国神社に行ってきました/斎藤 敏一
作成:2022年1月10日、最終更新:2022年1月10日
 
 

◆神奈川県は護国神社がない唯一の県

 昨年末にネットを検索していた時、「神奈川県は護国神社が存在しない唯一の県である」という事実を知りました。実はグーグルで「神奈川県護国神社」を検索すると、ヒットします。「神奈川県護国神社氏子会 [https://peraichi.com/landing_pages/view/gokoku0529/]」というのがそれです。ホームページが存在するということは、何らかの活動が行われているということになります。

 昨年末から「一度は神奈川県の護国神社にお詣りしたい」と考えていたので、年明けの一月三日、妻と二人で電車を乗り継いで、鎌倉市の護国神社と覚しき場所に出かけました。携帯のグーグルマップ片手に現地を歩き回ったのですが、それらしい場所には到達できません。グーグルマップには間違いなく「神奈川県護国神社」という表示が出ているのですが、南からアプローチしても北からアプローチしても神社は存在しないのです。「護国神社」の表示も看板も見つかりません。

 後日、念のために前記のホームページで現地の様子を再確認すると、グーグルマップの表示している場所が、実際の神社の場所と合致していないことが分かりましたが、後の祭りです。実際に訪れた場所から少し北向きに移動したところが本来の護国神社敷地だったようです。スマホでは「到着しました」というアナウンスが何回も出るのですが、そこは実際の敷地からは数十メートル外れていたようです。ホ-ムページを隅から隅まで読むと「※境内へ上がる道は階段となっており、車イスでのご参拝は困難です」と書いてありました。

 年始早々、くたびれもうけの旅をやらかしてしまったことになります。残念ですが、鎌倉の護国神社へは二度と行きたくありません。

◆護国神社が大切な理由

 そもそもどうして神奈川県の護国神社に行こうと思い立ったのかについてお話する必要があります。私は福井県生まれなので、本来お詣りすべきは神奈川県の護国神社ではなく、福井県の護国神社となります。


 我が家にも戦没者がいます。斎藤肇(はじめ)という叔父が出征し、太平洋上の南の島(具体的な名前は不明です)で戦死しました。戦後、叔父の遺髪が我が家に届けられたと聞いていますが、「本人の毛髪とは似ても似つかぬものだった」ようです。叔父のみ霊は福井県の護国神社と靖国神社に祀られているはずです。ウィキペディア『護国神社』には、次のように書かれています。
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 護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939年(昭和14年)3月15日公布、同4月1日施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)によって一斉に改称して成立した神社である。「招魂社」の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に矛盾があるとして護国神社に改称された。「護国」の名称は、1872年12月28日(明治5年11月28日)の徴兵令詔書の一節「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、1882年(明治15年)1月4日の『軍人勅諭』の一節「國家の保護に尽さば」など、祭神の勲功を称えるに最も相応しく、既に護国の英霊等の用語が用いられて親しみも深い、との理由で採用された。護国神社の総数は、1939年(昭和14年)4月時点で131社とされている。
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 護国の英霊という表現からも分かるように、護国神社の祭神は護国神社が存在する地域ごとの「英霊」であるわけです。福井県の場合には「御本殿 英霊 31,994柱」と明記されています [https://www.fukuigokoku.jp/ishizue]。「英霊が国を守ってくださっている」という素朴な信仰に基づいています。

 神奈川県だろうが福井県だろうが、英霊は実体として存在しており、心の世界ではいつでも英霊に会うことができます。英霊は実際に国を守り、地方を守っておられるのです。だから重要なのです。今回の神奈川県護国神社参拝はうまくいきませんでしたが、心の世界ではちゃんとお詣りできているということになります。

 いつも国を守って下さっている英霊に深く感謝を捧げます。