「一厘の仕組」は既に戦前に解かれていた!?

本当の話:「一厘の仕組」は既に戦前に解かれていた!?/斎藤 敏一

作成:2018年1月16日、最終更新日:2018年5月5日


◎正月早々ビックリしたこと(その2)

 「2018年は何か大きなことが起きる年になりそうです」と、先日の記事「これが大元霊のお姿だ!」で書きました。
 実はつい先日のことですが、もう一つビックリするような出来事がありました。仕事部屋の片付けを兼ねて屋根裏部屋でめぼしい本探しをしていた時のことです。『植芝盛平先生口述 武産合気(たけむすあいき)』という学生時代に購入した本を読み返す機会があったからです。その本は、昭和五十一年に白光真宏会青年合気道同好会から出版されたものですが、合気道開祖・植芝盛平翁の講話を口述筆記したもので、その内容の素晴らしさにビックリしたということなのです。翁は、こんなことを合気道同好会の青年たちに語っています。

 釈迦やキリストや孔子にまかせてはおけない。もう予言の時代は過ぎた。今はそれを実行に移すだけです。各々が天之御中主神(空即実相)にならねばならない。私達は一柱の神ではなく、八百万の神にみんな守護されているのです。これからは各々の天命を全うするように進んでゆくのです。皆さんお願いしますよ。

 ビックリしたのは、「大元霊=宇宙の大神さま」のお姿に関して話されている以下の一節です。

 一霊四魂三元八力の大元霊が、一つなる大神のみ姿である。大神は一つであり宇宙に満ちて生ける無限大の弥栄の姿である。即ち天なく地なく宇宙もなく大虚空宇宙である。その大虚空に、ある時ポチ忽然として現る。このポチこそ宇宙万有の根源なのである。そこで始め湯気、煙、霧よりも微細なる神明の気を放射して円形の圏を描き、ポチを包みて、初めて◎(ス、中央は実際には黒丸。以下同様)の言霊が生まれた。
 これが宇宙の最初、霊界の初めであります。
 そこで宇大は、自然と呼吸を始めた。神典には、数百億年の昔とあります。そして常在(すみきり)すみきらいつつ即ち一杯に呼吸しつつ生長してゆく。ゆくに従って声が出たのである。言霊が始まったのである。キリストが「はじめに言葉ありき」といったその言霊が◎(ス)であります。これが言霊の始まりである。

 記事「これが大元霊のお姿だ!」の前山さんからの報告にある「まるにチョン、台風の目のような、渦のような物が見えます」の「まるにチョン」のところに相当する「宇宙創生」のお話だということになります。
 植芝盛平翁の次ような一節はいかがでしょうか?

 合気道とは、宇宙の万世一系の理であります。
 合気道とは天授の真理にして、武産(たけむす)の合気の妙用であります。
 合気道とは、天地人、和合の道、とこうなるのであります。
 また合気道とは、万有の処理の道であります。
 合気道とは、言霊の妙用であり、宇宙みそぎの大道であります。
 この道を思惟する人は、宇宙建国完成の経綸に奉仕しなければならないことになっております。

 上記の文中の「合気道」を「あじまりかんの道」に置き換えて読んでみました。するとどうでしょう。私が拙著「あじまりかん」シリーズで伝えたいと思っていることになってしまうことに気付いたのです。「ああ、私と植芝盛平翁は同じなんだ・・・」という感覚です。

◎斎藤と植芝盛平翁の違い

 斎藤が『アジマリカンの降臨』で書いたことと植芝盛平翁が語っている内容は同じ世界から来ているということが分かったのです。つまり、植芝先生は「あじまりかん」すなわち、大元霊そのものの立場で語っておられるのです。それは当然でしょう。植芝盛平翁は、白光真宏会の五井師をして「植芝先生は神の化身だよ」と絶賛せしめた方なのですから。植芝先生の教えも最高でないはずがありません。
 「暗に斎藤の言っていることが最高だと言っているみたいだ」という声が聞こえてきそうです。はい、斎藤が語ることは最高だという気持ちがあることは否定しません。なぜなら、私は「あじまりかん」で大元霊が降臨するという話を語っているのですから、理論的には最高だと思っています。
 ですが、大きな違いがあります。武産合気という言葉からも分かるように、植芝盛平翁の道は、武の道です。一方、斎藤が説いている「あじまりかんの道」は普通人の実践可能な道です。それに、極めて簡単です。
 さらにもう一つの違いがあります。植芝盛平翁と同等の方は合気道からは出ていないのではないかということです。つまり、植芝先生と同レベルの神格を生きている間に体現された方は武道界にはいないのではないかと思うのです(もしおられたらごめんなさい)。植芝先生の『武産合気』の本を読んで「スッキリ分かった」と明言できる方は非常に少ないのではないでしょうか。神の化身が口述されたお話は極めて高度な悟りの世界なです。おまけに、その内容を頭で分かったとしても武道の世界のことですから、行が伴わなければ分かったことにはならない訳です。だから、理屈が分かってもおいそれとは植芝盛平翁の境地には到達できないということになります。こういう方は不世出、つまり、後にも先にも翁ただ一人でしょう。合気道で千人、万人の植芝盛平が輩出するということはあり得ない訳です。
 これはあくまでも斎藤の見解ですが、「あじまりかんの道」の場合は、誰でも斎藤と同程度(神人一如の自覚に達すること。斎藤はまだ発展途上なので、悟りのレベルは最高ではないです。残念ですが・・・)にはなれると考えています。その理由は、「あじまりかんを唱えると無条件に大元霊が(波動として)降臨する」からです。すぐに立派な境地になれる訳ではないですが、無心に「あじまりかん」を唱え続けることによって、徐々に「神人一如」の自覚ができてきます。だんだんと普通の人から神さまに近い人へと成長し続けることができるのです。
 「あじまりかんの道」は、古神道の言葉をあまり使っていない(使う場合は必ず解説しています)ので理論が一般向けで分かり易いはずです。そのため、我々のような普通人でも実践し易いと思います。「あじまりかん」を唱えると神の直接体験が可能です。ですから、誰でもその気になれば神と一つになれるのです。その点が「あじまりかんの道」が易行道だという最大の理由です。
 いずれにせよ、翁も斎藤も「最終的に天の浮橋(後述)に立つ神人とならなければ、神の経綸の大業は果たせない」という考えです。この「天の浮橋に立つ」心境になるには、それなりの修行が必要です。私自身、そこまで行っているかどうか心許ないのですが、少しでもそこに近づきたいと日々努力しています。

◎「天の浮橋に立つ」ということ

天の浮橋に立つイザナギ・イザナミの二神

 植芝翁の教えで特に印象に残る言があります。それは「天の浮橋に立って」という言葉です。図のナギ・ナミ二神は天の浮橋に立たれており、これから国産みをなさろうとしている場面です。
 重要なのは、天の浮橋に立つとは「御親=大元霊=大神様に帰一した状態」であるということです。キリスト教的な言い方をすれば「自分の十字架を背負ってイエスに着いてゆく」ということです。私はキリスト教の十字架という言葉が好きではないので、「身を捨てて天地の十文字の交点に立つ」というような表現を使います。とにかく、最後はそこに行き着くのです。そこからでなければ、天地の経綸は進めてゆけないのです。
 翁は常々「天の浮橋に立って事を為すべし」と説かれています。このように、古事記等の神典に登場する言葉を使って道を説かれているのが植芝盛平翁なのです。古事記等に馴染みのない方にはちょっとしたハードルかも知れません。私も学生時代に『武産合気』の本を読んでも、何となく雰囲気しか分からなかったという記憶があります。ですが、四十年後の今、「あじまりかん」の秘密を解く過程で古神道の人間観や世界観を学んだ結果として、「ようやく植芝盛平翁の世界に近づくことができた」と嬉しかった訳です。
 斎藤は、「あじまりかんの道」によって「我即宇宙」の自覚を持った「天の浮橋に立つ神人」が全世界で多数輩出すると考えています。
 このことは、近日中においおい分かってくることだと思います。

◎「一厘の仕組」と植芝盛平翁の関係

 さて、本記事タイトルの「『一厘の仕組』は戦前に既に解かれていた」の意味はこうです。
 植芝盛平翁は戦前に、神そのものとなる最終段階の修行を経て「自分が神そのものとなったこと」を自覚されたと言われています。「神そのもの」の「神」とは大元霊=宇宙の大神さまという意味です。自分が宇宙の神さまと一体になってしまったのが合気道開祖である植芝盛平翁だったということになります。
 本記事で取り上げた書名『武産合気』とは、武による合気の産霊(むすび)という意味のかなり難しい言葉です。これは、大元霊(=宇宙の大神)と一つに成り切ったところから武による産霊(むすび)の御業を遂行するというものです。そんなことを言われても「エッ、何のこと?」と聞き返されかねないほど高次元の、考えたこともないような使命を、植芝盛平翁は戦前の若かりし頃に授かったのです。
 その時、植芝師は大本神諭で言われるところの「一厘の仕組(=一輪の秘密)」を解き切って、神様そのものの立場に立たれたのでした。植芝翁は神の化身となられた訳ですから、この宇宙の「一厘の仕組」そのものとなってしまわれたということなのです。翁自身「私のような人間は人類史上いまだかつていなかった」とおっしゃっています。
 かなり有名な「パインタラ事件」というのがありました。1924年、翁が41歳の時、大本の出口王仁三郎師のモンゴル行に着いて行って、危うく死刑となるところまでいったが、パインタラに駆けつけた日本領事館員の交渉により処刑は中止となり九死に一生を得たという出来事です。翁はその時には、境地としては出口王仁三郎師以上のところまで行っていたと考えられます。翁は武の世界で道を究め、宗教の世界では王仁三郎師の陰に隠れてしまっているのですが、霊位は王仁三郎師以上だったかも知れません。
 植芝盛平師は「一厘の仕組」をただ一人黙々と合気の世界で行じられた、不世出の神人だったのです。残念ながら同格の後継者はいません。翁から「五井先生は祈りのご本尊です。私はいつも五井先生と霊的に交流しており、その素晴らしさはよく分かっています」と言われていた白光真宏会の五井昌久師も同様です。五井先生と同等の人が輩出しなければならないのですが、そのようにはなっていません。
 でも、それでは駄目なのです。ミロクの世を創るには何千、何万の神人が必要なのです。つまり、数多の植芝先生や五井先生が必要なのです。そういう道でなければ意味がないのです。「植芝先生は偉い」とか「五井先生は素晴らしい」という人がどれだけいても駄目で、みんなが神格を得て神さまになって、みんなでミロク世=世界一家の地上天国を創らなければならないのです。そういう道は今まで皆無だったのです。「あじまりかんの道」とはそのような方法論でありシステムなのです。表現は俗っぽいですが、文化系でも体育会系でもなく、理科系・技術系・システム屋の発想が必要となるのです。
 そこで斎藤が登場したという訳です。筆者の仕事は、その「一厘の仕組」をペンによって「あじまりかんの道」として、誰でも容易に踏み行えるように、システムとして科学的に、技術的に明らかにすることにあります。システムにならない限り、あるいは、スマホのように一般化しない限り、神さまを何千人、何万人も育て上げることは不可能なのです。私が説いている「あじまりかんの道」とは、そのようなものなのです。
 私と植芝盛平翁は「一厘の仕組」との関わりにおいて、方法は違いこそすれ、同じ道を歩んでいるということになります。植芝翁という偉大なる神の化身に一冊の本を通じて出会ったに過ぎないのですが、読んでいるだけで自分が浄められ高められる心地がします。また、何とも言えない使命感のようなものを感じ、心身がキュッと引き締まる昨日今日なのです。

【参考資料】
・『植芝盛平先生口述 武産合気』白光真宏会青年合気道同好会、1976年
・『アジマリカンの降臨