「出会い・人物」カテゴリーアーカイブ

「一輪の秘密(アジマリカンの降臨)」に関係するキーパーソンのお話

神道新教教会本部訪問記

神道新教教会本部訪問記/斎藤 敏一
作成:2023年1月25日、最終更新:2023年2月6日
 
 

◆神道新教教会本部訪問記

◎教会を知った経緯
 2022年の八月に、姫路の友人Mより「姫路郊外に神道新教教会というすごい神社(神さま)がある」という話を聞いた。同教会(宗教法人)の開祖は雲丹亀(うにがめ)いと子様で、現在は三代目の雲丹亀洋介氏が代表をされていることが、Mと電話で情報交換して分かっていた。


 先ずは、雲丹亀洋介氏に電話でご挨拶して、「9月になったら取材を兼ねてそちら(教会本部)にお参りしたい」とお伝えした。名前の「雲丹亀」はとても珍しいもので、姫路の教会本部近在特有のものらしかった。

◎大阪で本誌執筆者と会合
 同教会の訪問は九月十一日だったが、前日の十日は新大阪で、本誌の執筆に協力いただいている岡本氏(奈良在住)と魚田氏(大阪在住)に会った。二人とは旧交を温めたり、今後の原稿依頼について合意事項を確認したりという目的で数時間を過ごした。


 三人で新大阪近辺の神社・中島惣社にお参りし、ついでに記念撮影。岡本氏とは途中で別れ、魚田氏の案内でお初天神(露天神社)や摂社の水天宮・金刀比羅宮にお参りした。お初天神だったからであろうか、決して人が多かったわけではないが、気持ち的に賑やかだったという印象が残った。


 お初天神については、魚田氏は御神業も関係していたようで、色々と思い出深い場所だということが分かった。氏と御神業の関係については色々と伺ったのだが、その件は本人の寄稿を通じて語っていただくことになるだろう。

◎姫路へ移動し大谷氏と待ち合わせ
 新大阪で魚田氏と別れ、十日の予定は完了した。筆者は、明日の神道新教教会訪問に備えるため、新快速に乗って姫路に移動した。


◎神道新教教会本部に移動
 翌十一日十時頃に、姫路市内五軒邸の大谷充氏の運転する車で神道新教教会本部を訪問した。
 招じ入れられた同教会の神殿では、当日の行事となっていた、礼拝と祝詞奏上を、雲丹亀洋介氏の先導で(一時間余り)ご一緒することになった。


 続いて和室で、雲丹亀氏から同教会の歴史や教祖様(おやしろ様、雲丹亀いと子様)のお話を伺った。

   雲丹亀洋介氏

 大正時代当時、著名な折口信夫(歌人・釈迢空)氏から教会のほうに、教祖様を讃える歌が贈られた。その歌とは「あたらしき 教えをひらく 人出でて はりまの山田 人しりにけり」というもので、以下の掛け軸になっている。


 お話の後では、教会の敷地内を案内していただいた。水行をする小さな滝や不思議な感じのする池などを見せていただき、おやしろ様がなさったことの一端をうかがい知ることができた。

    お滝場

◎教祖様は「おやしろ様」だった
 教祖様については、非常に高貴なお方であると感じていたが、当日いただいた資料『おやしろ様の生いたち』ではっきりと裏付けられた。おやしろ様という呼び方は「教祖様がいつも親神様のおやしろとなっておられる」という意味だろうと思われる。
 余りにも尊い神さまが入っておられるので、神がかった時に見分けられる人が一人もいなかったと伝承される。宇宙の最高神(造化三神と別天神五代、何百柱もの金神)がそのまま降りておられるような神人だった。写真に撮ることができない、つまり、姿のない宇宙の親神様を体現された神人であった。


 当日は編集子も神殿内でおやしろ様の写真を撮ったのだが、なぜかぶれたり滲んだりして普通の写真としては撮れていない。完全な失敗だ。
 これほどの教祖様が過去の日本宗教界に存在したかと言えば「否」であろう。
 いただいた資料を読むことで、おやしろ様が空前絶後の人物(ほとんど神さま)だったことを、確信できた。しかも、おやしろ様は日本の宗教界でもほとんど知られていない。改めて本誌で詳しく紹介したいという気持ちになっている。近日中に再登場していただき、教えをご紹介する予定である。乞うご期待。

◎大谷充氏のこと
 なお、当日快く、車でホテルまで駆け付けていただき、同教会まで送っていただいた五軒邸(ごけんやしき)の大谷充氏にはお世話になりました。


 大谷さん、今後ともよろしくお願いいたします。

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護国神社に行ってきました

護国神社に行ってきました/斎藤 敏一
作成:2022年1月10日、最終更新:2022年1月10日
 
 

◆神奈川県は護国神社がない唯一の県

 昨年末にネットを検索していた時、「神奈川県は護国神社が存在しない唯一の県である」という事実を知りました。実はグーグルで「神奈川県護国神社」を検索すると、ヒットします。「神奈川県護国神社氏子会 [https://peraichi.com/landing_pages/view/gokoku0529/]」というのがそれです。ホームページが存在するということは、何らかの活動が行われているということになります。

 昨年末から「一度は神奈川県の護国神社にお詣りしたい」と考えていたので、年明けの一月三日、妻と二人で電車を乗り継いで、鎌倉市の護国神社と覚しき場所に出かけました。携帯のグーグルマップ片手に現地を歩き回ったのですが、それらしい場所には到達できません。グーグルマップには間違いなく「神奈川県護国神社」という表示が出ているのですが、南からアプローチしても北からアプローチしても神社は存在しないのです。「護国神社」の表示も看板も見つかりません。

 後日、念のために前記のホームページで現地の様子を再確認すると、グーグルマップの表示している場所が、実際の神社の場所と合致していないことが分かりましたが、後の祭りです。実際に訪れた場所から少し北向きに移動したところが本来の護国神社敷地だったようです。スマホでは「到着しました」というアナウンスが何回も出るのですが、そこは実際の敷地からは数十メートル外れていたようです。ホ-ムページを隅から隅まで読むと「※境内へ上がる道は階段となっており、車イスでのご参拝は困難です」と書いてありました。

 年始早々、くたびれもうけの旅をやらかしてしまったことになります。残念ですが、鎌倉の護国神社へは二度と行きたくありません。

◆護国神社が大切な理由

 そもそもどうして神奈川県の護国神社に行こうと思い立ったのかについてお話する必要があります。私は福井県生まれなので、本来お詣りすべきは神奈川県の護国神社ではなく、福井県の護国神社となります。


 我が家にも戦没者がいます。斎藤肇(はじめ)という叔父が出征し、太平洋上の南の島(具体的な名前は不明です)で戦死しました。戦後、叔父の遺髪が我が家に届けられたと聞いていますが、「本人の毛髪とは似ても似つかぬものだった」ようです。叔父のみ霊は福井県の護国神社と靖国神社に祀られているはずです。ウィキペディア『護国神社』には、次のように書かれています。
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 護国神社は、明治時代に日本各地に設立された招魂社が、1939年(昭和14年)3月15日公布、同4月1日施行された「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」(昭和14年内務省令第12號)によって一斉に改称して成立した神社である。「招魂社」の名称は、「招魂」が臨時・一時的な祭祀を指し、「社」が恒久施設を指すため、名称に矛盾があるとして護国神社に改称された。「護国」の名称は、1872年12月28日(明治5年11月28日)の徴兵令詔書の一節「國家保護ノ基ヲ立ント欲ス」、1882年(明治15年)1月4日の『軍人勅諭』の一節「國家の保護に尽さば」など、祭神の勲功を称えるに最も相応しく、既に護国の英霊等の用語が用いられて親しみも深い、との理由で採用された。護国神社の総数は、1939年(昭和14年)4月時点で131社とされている。
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 護国の英霊という表現からも分かるように、護国神社の祭神は護国神社が存在する地域ごとの「英霊」であるわけです。福井県の場合には「御本殿 英霊 31,994柱」と明記されています [https://www.fukuigokoku.jp/ishizue]。「英霊が国を守ってくださっている」という素朴な信仰に基づいています。

 神奈川県だろうが福井県だろうが、英霊は実体として存在しており、心の世界ではいつでも英霊に会うことができます。英霊は実際に国を守り、地方を守っておられるのです。だから重要なのです。今回の神奈川県護国神社参拝はうまくいきませんでしたが、心の世界ではちゃんとお詣りできているということになります。

 いつも国を守って下さっている英霊に深く感謝を捧げます。

山蔭神道貴嶺宮訪問記 [Visiting Yamakage Shinto Kireiguu]

山気神道貴嶺宮にて(愛知県幸田)
山蔭神道貴嶺宮にて(愛知県額田郡幸田) [At Yamakage Shinto Kirei-guu (Kouda, Nukata district Aichi prefecture)]
 
山蔭神道貴嶺宮訪問記 [Visiting Yamakage Shinto Kireiguu]/斎藤 敏一 [Toshikazu Saito]
作成:2021年2月26日、最終更新:2021年8月8日
 
 

◆山蔭神道・貴嶺宮に参拝したこと [Having gone and worshiped at Ymakage Shinto, Kireiguu]
 私が初めて「あじまりかん」を称(とな)えて「あじまりかん体験」を持ったのは、2015年のことである。それ以来五年足らずだが、その間ずっと気になっていたことがある。
    It was in 2015 that I first chanted “Ajimarikan” and had an “Ajimarikan experience”. It’s been less than five years since then, but I’ve been worried about it all the time.

 ずっと気になっていたこととは、他ならぬ「あじまりかん伝承者」である山蔭神道のことだ。実は、私には室崎氏という友人がいて、四十年以上の付き合いなのだが、彼は若い頃(二十代)に山蔭神道で修行をしていたのだ。修行期間は三ヶ月ぐらいだったと聞いているが、どのような修行をしたのかについては聞いていない。
その友人が世話を何かと世話をやいてくれたお蔭で、筆者は先日(2021年2月22日)、貴嶺宮(山蔭神道の本部で、東海道線の幸田が最寄り駅)を訪問することができた。一度は参拝したいと思っていたところなので、願いが叶って感無量であった。
    What I’ve always been interested in is the Yamakage Shinto, which is none other than the “Ajimarikan successor.” To tell the truth, I have a friend named Murozaki, who has been with me for more than 40 years, but he practiced in Yamakage Shinto when he was young (in his twenties). He heard that he had been training for about three months, but he has not told me what kind of training he had done. Thanks to the friend who took care of me, the other day (February 22, 2021), I was able to visit Kireigu Shrine (the headquarters of Kirei-gu Shrine, where Koda on the Tokaido Line is the nearest station). did it. I had wanted to worship at least once, so my wish came true and I was impressed. 

 当日は筆者を含めて三人で訪問することになったが、我々が到着すると、当主の山蔭仁嘉師が出迎えて下さり、先ずは本殿に案内された。本殿ではかなり長時間、複数の祝詞を挙げて下さり、一人ずつ玉串奉奠(たまぐしほうてん)をして参拝の儀式が終わった。
    We were supposed to visit with three people including me on the day, but when we arrived, the owner, Mr. Hitoshi Yamakage, welcomed us and first guided us to the main shrine. At the main shrine, he gave several Shinto prayers for quite a long time, and each one performed a Tamagushi-hoten (the offering of a tamagushi, branch of sacred tree), and the worship ceremony was over.

 一連の祝詞朗誦の途中で、緩急自在に強弱をつけて打ち鳴らされる太鼓の音が、参拝者の五臓六腑に染みわたった。多分「正式参拝」と呼ぶのであろうが、筆者にとってそのような体験(特に太鼓を打ち鳴らす作法を見聞きすること)は初めてだったので、かなり驚いたのである。全身に浴びる迫力満点の太鼓の音に驚かされ、それだけでも「参拝しただけの値打ちがあった!」と思わずにはいられない体験であった。
    In the middle of a series of recitations of the Shinto prayers, the sound of the big drum (= Taiko), which were struck in a slow and fast manner, permeated the worshipers’ bowels. Perhaps it’s called “formal worship”, but I was quite surprised because it was the first time for me to have such an experience (especially to see and hear how to beat the big drum). I was amazed by the powerful sound of the drum that hit my whole body, and it was an experience that I couldn’t help but think, “It was worth the visit!” 

 最近の当会機関誌のテーマは「結び」である。少なくとも山蔭仁嘉師と筆者たちが、奇しき縁によって結ばれたことは間違いのない事実である。その労を執ってくれた室崎氏にはただ感謝である。
    The theme of our recent journal is “connection (= Musubi)”. There is no doubt that at least Rev. Hitoyoshi Yamakage and we were connected by a curious turn of fate. I am just grateful to Mr. Murozaki for taking care of that effort. 

◆「あじまりかん」の話が出なかった不思議 [The wonder that the story of “Ajimarikan” did not come out ]
 私にとっての山蔭神道とは、「あじまりかん伝承者」である。二千年近い時の流れを超えて「あじまりかん」を伝えてきた山蔭神道なのだが、山蔭師からは全く「あじまりかん」のお話は伺うことができなかった。私も完全に「あじまりかん」のことを忘れており、前日まで質問しようと思っていたこともすっかり飛んで行ってしまったようだ。
    For me, Yamakage Shinto is the “Ajimarikan succesor”. Yamakage Shinto has been telling “Ajimarikan” for nearly 2,000 years, but I couldn’t hear the story of “Ajimarikan” from Rev. Yamakage at all. I completely forgot about “Ajimarikan”, and it seems that the question I had been thinking about until the day before was completely gone. 

 お尋ねしたかったのは、「あじまりかん」に関して山蔭家に伝わっている資料がないかということや、基央師から何か「あじまりかん」の話を聞かれていないかといったことだ。
    What I wanted to ask was whether there was any material that had been passed down to the Yamakage family regarding “Ajimarikan”, and whether there was any story about “Ajimarikan” from Master Motohisa (= Rev. Hitoshishi’s father). 

貴嶺宮の愛想のよい猫
貴嶺宮の愛想のよい猫。ゴロゴロと喉を鳴らしてご機嫌な様子だったが、ご近所の飼い猫らしい [A friendly cat at Kirei-gu. She was in a good mood with a rumbling throat, but she seems to be a domestic cat in the neighborhood.]

 今回の貴嶺宮訪問で仁嘉師とのご縁が結ばれたので、今後は、前掲の質問なども含めて、何かあればお尋ねすることも可能だ。何か一つでも知らないことが出てきたら儲けものだ。今後に期待することにしよう。
    Since this visit to Kirei-gu has made a connection with Rev. Hitoyoshi, it is possible to ask any questions, including the questions mentioned above. It’s profitable if I don’t know anything about it. Let’s look forward to it in the future.

 思うに、「あじまりかん」は山蔭神道から筆者に移動したようだ(もちろん、今後も祝詞の中の一節として山蔭神道で称えられることがあると思うが)。だからというわけでもないが、訪問した山蔭神道・貴嶺宮は、春のうららかな日差しの中で、のどかで静かなたたずまいであった。「いい天気だニャー」と、たまたま登場した愛想のよい猫が、そのことを証していたような気がしてならない。
    I think “Ajimarikan” has moved from Yamakage Shinto to me (although I think it will continue to be praised in Yamakage Shinto as a passage in the congratulatory words). That’s not to say, but the Kirei-gu Shrine, which I visited, had a peaceful and quiet appearance in the bright spring sunshine. I felt like the amiable cat that happened to appear, saying, “It’s nice weather, meow,” proved that.

 今後は、大神呪「あじまりかん」の話は、私が伝えてゆけばよいということだ。
 そういう伝言を貴嶺宮の猫から受け取ったのである(ここは本気にしていただかなくてもよい)。(あじまりかん通信第21号より転載)
    From now on, the story of the great god curse “Ajimarikan” should be told by me. I received such a message from the cat at Kirei-gu (you don’t have to be serious about it here).
(Reprinted from Ajimarikan Newsletter No. 21)

 
 
 
 

クリエイトブックス 岡山泰士氏

相模国一の宮 寒川神社
出会い・人物:クリエイトブックス 岡山泰士氏/斎藤 敏一
作成:2017年11月8日、最終更新:2018年5月2日
 

●出版界のマジシャン岡山泰士氏との出会い

 自分の本を書いて世に出したいが、その世界での実績もなく知名度が低い、私のような人間にとって、出版というものは乗り越えたくとも越え難い巨大な壁のようなものであった。
 2015年7月、私は処女作『生命の樹の発見』(現在の『アジマリカンの降臨』の原型となる作品)を書き終え、とにもかくにもAmazonのKindle本として同著を出版することができた。さらに、オンデマンドで紙の本としても1冊単位で販売できるMyISBNというサービスを利用して、同じくAmazonで出版し終えていた。

 問題は自分の本が売れたかどうかであるが、それは聞かないで欲しい。「無名の新人がAmazonでKindle本を出版しても、宣伝に百万円以上かけないと売れない」という話を聞いていたが、その噂は完全に本当だった。ネットビジネス界の大物と言われている富田たかのり氏が、自分のKindle本の宣伝に百万円かけて、ようやくまとまった冊数を売り上げたという。そういう世界である。
 既存の出版社にも原稿を送って打診したが、自費出版しか方法はなさそうで、早々に諦めた。とにかく、編集や企画のプロに相談に乗ってもらおうということで、色々なホームページを調べていた。そういう時期に、次のようなメールマガジン(差出人:クリエイトブックス、件名:メディアに取り上げられやすい人はどういう人?)が届いていた。この一通のメールが岡山泰士との実質的な出会いであった。岡山氏は出版界のマジシャンである。

  [岡山氏メルマガ引用開始]
  ———————————————–
  ● ブランディングワークショップ開催
  ———————————————–
  あなたオリジナルの「個人ブランディング」を創るワークショップを開催します。

  ブランディングすることであなたの提供する商品やサービスを「売る」ことなく
  「売れる」状態に変わります。
  少人数での開催となりますので、充実した時間が過ごせるとご好評を頂いて
  います。

  あなたの「オリジナルブランド」の基礎をいっしょに創りませんか?
  [岡山氏メルマガ引用終了]

●いきなり結論=岡山式はとにかくうまくいく

 上記のメルマガがきっかけとなって、今年の2月末にワークショップに参加した。幸いにも、ワークショップの参加者は私一人だけだったので、2時間余りのコンサルティングであった。3月にクリエイトブックスの「出版サービス」を受けるべく契約。3ヶ月で『あじまりかんの法則』の執筆・校正・印刷を行い、めでたく7月にAmazonで出版(=販売開始)できた。
 それから、自然な流れで『アジマリカンの降臨』を「あじまりかん友の会」より出版し、メルマガを出したり、ホームページを作ってゆくことも可能になった。
 途中経過の諸々のお話は企業秘密もある(?)し、大部分の読者の方には退屈かも知れないので、割愛させていただこう。私がクリエイトブックスの岡山氏とビジネスとしてお付き合いを始めて、分かったのは以下のことである。

 岡山式サービスは100%以上うまくいった! 

 私が言うところの岡山式とは、以下の考え方に基づいた出版サービスシステムである。

① オリジナルのブランディング・コンセプトを「書籍」というパッケージ商品に凝縮。お客さまがわざわざお金を出してご購入頂ける「販促ツール」を作成します。
② 商業出版のようなハードルの高さがない「100%出版保証」つき。
③ それでいて、商業出版と同様「著者ブランド」を手にすることができます。

 私の場合、約半年間で第一目標である「あじまりかん友の会」の設立と稼働開始まで漕ぎ着けることができたのだ。これは、岡山氏に言われた通りにやってきただけでいつの間にか実現してしまったのだ。気が付けば、岡山式がうたう通りの結果になっており、岡山氏から最初にいただいたPDFファイル「クリエイトブックスサービスご案内資料」の説明通りになっていたのだ。
 驚くやらありがたいやらで、岡山式はすごい!と思った次第。岡山マジックが100%以上効果を発揮したことに気付いたのだ。
 自分の本を出版したい方は、とにもかくにもクリエイトブックスの岡山氏にご相談されることをお薦めする。

岡山氏はまとめの達人

 岡山氏はとても「まとめ上手」である。まとめの達人と言ってもよいだろう。私が講演会で話した内容を、私以上に的確に簡潔にまとめて下さっている(サンプル:『あじまりかんの法則』斎藤敏一先生 講演会【講演会録(音声+資料) 特別頒布会のご案内】)。

======(引用開始)=================================
講演会が残してくれた「玉手箱」とは?
この講演会では、『あじまりかんの法則』でも語られなかった数々の秘密が伝えられました。

 「あじまりかん」とは「存在」であり、実感できる
 「キリストとの対話」とは実際、どのようなものであったか?
 日本独自の神と人との関係とは? 
 なぜキリスト教は「独善」となったのか?
 日本が世界に果たす役割とは?
 宇宙の創造神レベルまで行く方法。
 世界平和を最速で達成する方法。

『あじまりかんの法則』を読んで、日々実践している方の体験談は貴重でもあり、著者との質疑応答も非常に参考となる情報共有の場となりました。
これらはすでに、日本人だけでなく、世界に向けて贈られた「ギフト」であり、難しい教義や、果たすべき義務や、歴史・民族的な違いを超えて、まさに「唱えるだけで」深い安堵感と至福の満足感をもたらすことが、会場の参加者の皆さんはもとより、これまで『あじまりかんの法則』を読まれたすべての読者とともに確認され、共有された時間となりました。
======(引用終了)=================================

 上記のような岡山氏のまとめ内容を見て、話した本人が「へえ~。そんなことを話していたのか……」と感心することしきりなのだ。岡山氏のまとめ力は特筆すべき能力であり、見習いたいと心から思うのである。

本項終わり

 
 

表博耀氏との会談

出会い・人物:表博耀氏との会談/斎藤 敏一(作成:2017年10月27日、最終更新:2018年2月15日
 
●表博耀氏との出会いは一通のメールから始まった
 
 10月初旬のある日、長野県在住の「あじまりかんの法則」の読者、松本さん(合同会社 共育様)より、次ようなメールが届いた。
 
 山蔭神道の第80世と繋がっておりまして、80世も貴書を購読しております。
 「世に出していただきありがたい」という旨を昨日(10月4日)もお話しされておりました。
 さらに、「直接お会いして、『あちまりかむ』についてお話しする機会はないものだろうか?」ともおっしゃっており、私が代わりにご連絡を差し上げている次第です。
 斎藤さまがもしご興味があれば、山蔭神道第80世、山蔭員英(かずふさ)とお繋ぎできますが、いかがしましょうか?
 
 松本さんとのメールのやり取りを経て、10月8日の午前11時に山蔭員英氏(もう一つの名前は表博耀氏。以降は「表氏」で統一)に京都グランヴィアホテルで会談させていただくことになった。
 
●表氏が「あちまりかむ」について語ったこと
 
 松本さんのメールでは、表氏が私に会う必要があると思われたのは、「『あちまりかむ』について伝えたいことがある」ということだった。文面で「あちまりかむ」という古語を使われていることに非常に興味を持った私は、表氏から語られる内容に大きな期待を抱いた。10月8日の約束の時間に、京都グランヴィアホテル2Fのロビーラウンジでの会談となった。
 いざ始まると、会談とはいうものの、1時間程度と時間が制約されており、お話しの大部分は表氏によって語られるということになった。表氏が語られた内容の要点をかいつまんで言えば、次のようなものである。
  • 「あじまりかん」を古語で表すと「あちまりかむ」である。表氏は、「あちまりかむ」を世に出すという使命を託されている。
  • 表氏ご自身が演じられる岩戸開きの神楽では、アキル文字(アヒル草文字)という神代文字で書かれた「あちまりかむ」の書を披露している。「あちまりかむ」をレーザー光線で描くこともある。
  • 表氏は昨年(2016年)、山蔭神道を第80世として継承した。山蔭神道は、幕末の天皇、孝明天皇の祖父である光格天皇が命名したもので、山蔭神道の祖は天之児屋根命まで遡る。(参考:ホームページ「言霊の華 第四〇七号 菅家 一比古」)
  • 「あちまりかむ」の「あち」とは、阿智族から来ている。阿智族の遠祖は天思兼命である。長野県下伊那郡阿智村に式内阿智神社がある。
図:アキル文字で書かれたヒフミ祝詞

 上記の話は、特に「あちまりかむ」の意味や由来に深く関係している個所のみである。当日表氏が語られたのは、氏の幅広い交友や情報網を彷彿とさせる話題、日本古代史とイスラエルとの関わり、それを研究する杣浩二氏の世界的研究の紹介、超古代史的な話題、海外での公演活動のこと、9/18の台風の日に大変な思いをして戸隠山に修験道先達として登られたこと、国事として祈りの活動が可能な公的組織が必要であること、などなど、お話は多岐にわたったのである。
 
●表氏との会談を終えて
 
 私は、拙著「あじまりかんの法則」の出版ということを通じて、山蔭神道を代表する二人のキーマンにお目にかかったことになる。一人目は故山蔭基央師のご子息の山蔭仁嘉師(山蔭神道第81世)、そして二人目が今回お目にかかった表博耀氏(山蔭神道第80世)である。
 
図:会談を終えてのツーショット(京都グランヴィアホテル、2017/10/08)
 
 ご両人とも、お目にかかるのは今回が初めてのことであった。同時に80世と81世が存在するという山蔭神道の現在の姿については、素人が軽々とはうかがい知れない奥(裏の事情)があるという感を深くした。
 表氏は思ったことを立て板に水のごとくポンポンとお話しになる非常に闊達な方であった。その話題の豊富なことと言ったら、大変なものである。会見の席上で「山蔭神道とは関係のないところからあなたのような方が出てきたということに対して、『今の世がアジマリカン(アチマリカム)を必要としている』と受け止めています」といった意味のことを言われたように記憶している。私達に共通するのは「あじまりかんの重要性に関する認識」ということではなかったかと思うのだ。表氏の言葉を借りれば、「アチマリカムでないと世界が一つにならない」ということだ。
 日本国エンタメ観光マイスター(日本でただ一人)として世界を駆け巡りながら神楽の公演を重ね、感動の輪を拡げ、ネオジャパネスクという日本の伝統を現代に生かしたデザインを提唱して、各国で展示会を開いて高い評価を受けておられる表氏が発する言葉である。だからこそ、氏の「アチマリカムじゃないと間に合わない(人類が今陥っている危機的状態を回避すること)」という発言に新鮮な驚きと重みを感じたのである。
 
【参考資料】
 表博耀氏との会談の動画(合同会社共育様神晃講様のご提供)をご覧下さい。
 動画では、表博耀氏から「あちまりかむ」に関する興味深い歴史や起源、氏のご活躍の原点となる歴史観や現在の活動のあり方が語られます。必見です。