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機関誌第23号を発行しました

機関誌第23号を発行しました/斎藤 敏一
作成:2021年8月7日、最終更新:2021年8月7日
 

◆機関誌第23号を発行しました
 機関誌『あじまりかん通信』の第23号を発行しました。以下のような内容となっています。機関誌は会員になることで読むことができます。
 23号と24号で「既に弥勒の世は始まっており、弥勒の世をどのようにして創ってゆくのか」について書きます。手始めとして、昭和~平成=令和という時代の流れと、これから現実化するフリーエネルギー利用について検討します。

【目次】
表紙:小田原城天守閣(小田原デジタルアーカイブより)
あじまりかん人物評伝(39) ニコラ・テスラ(1856―1943)
巻頭言 — たまらなく昭和が懐かしい
連載 あじまりかんの渦 本番編
第二三章 弥勒世現出 前編
  ◆昭和→平成→弥勒世本番(令和)
  ◆予言・預言・神示のカラクリを使う宗教には問題が多い
  ◆昭和(特に昭和五十年代)の日本現代史を俯瞰する
  ◆ミロク世は平成二七年(2015年)から?!
  ◆拙著『すべてがひっくり返る』の読者コメントに応える
  ◆私は一介のアジマリカン行者である
  ◆霊界物語や日月神示は難し過ぎるが、アジマリカンは唱えるだけ
  ◆アジマリカンは死ぬ気でやるもの
  ◆アジマリカン、同じ阿呆なら唱えな損々
  ◆UFOは地球維新を促す黒船だ!
  ◆アジマリカンで弥勒世が見えてきた! & 次号予告
あじまりかんQ&A
Q アジマリカンで嫌な霊がやってくる?
編集後記
あじまりかん人物評伝(40) エドウィン・V・グレイ(1925-197X
表紙(裏):箱根神社(神奈川県足柄群箱根町)

【お問い合わせ】
あじまりかん友の会まで
〒252-0333
神奈川県相模原市南区東大沼 4-11-10
  あじまりかん友の会  機関誌係
■メール tomonokai@ajimarikan.com
■電話 042-712-3004

 

 

 
 
 
 

機関誌第22号を発行しました

機関誌第22号を発行しました/斎藤 敏一
作成:2021年7月1日、最終更新:2021年7月1日
 
 

◆機関誌第22号を発行しました
 機関誌『あじまりかん通信』の第22号を発行しました。以下のような内容となっています。

【目次】
アジマリカン事物評伝(37) ヤコブ
巻頭言 — 日本のマスメディアが問題だ     1
連載 あじまりかんの渦 みろく編        
 第二二章 日本国民のマインド・コントロールを解く
  ◆愛国心を語れないのはマインドコントロールのせい?!
  ◆マスメディアが実際にやっていること
  ◆マスメディアは「中心=天皇」を穢し続けてきた
  ◆コンノケンイチ氏はマインドコントロール解除側の人だった
  ◆アインシュタインは科学界最大のマインド・コントロール用逸材
  ◆ディスクロージャー・プロジェクトとは何か
  ◆UFOとETに関する巨大な秘密とは
あじまりかんQ&A              32
 みろくの世は本当にやってくるの?
随想 あじまりかんの肝            33
 コロナ危機が続いている意味
編集後記                   35
アジマリカン事物評伝(38) 昭和天皇

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機関誌第21号を発行しました

機関誌第21号を発行しました/斎藤 敏一
作成:2021年5月1日、最終更新:2021年5月1日
 

◆機関誌第21号を発行しました
 機関誌『あじまりかん通信』の第21号を発行しました。以下のような内容となっています。

【目次】
アジマリカン人物評伝(35) 応神天皇(270年頃―310年頃)
巻頭言 — 愛子さまを将来の天皇陛下に1
連載 あじまりかんの渦 みろく編3
第二一章 「あじまりかん」の真義3
 ◆山蔭神道・貴嶺宮に参拝したこと 3
 ◆「あじまりかん」の話が出なかった不思議 4
 ◆日本は結びの国だとは言うけれど…… 5
 ◆愛国心を説くガイジンがいた! 7
 ◆GHQの日本弱体化政策によって日本人から愛国心が失われた 8
 ◆愛国心は愛国者によって培われる 9
 ◆私は生まれつき愛国心を持っていた 10
 ◆「あじまりかん」が証(あか)す――日本は神の国 11
 ◆「日本=あじまりかん=神」は(霊的な)真実 15
 ◆あじまりかん=活き物=直霊(なおひ)=言霊(げんれい) 17
 ◆寒川神社で神なる日本列島を見た 19
 ◆究極の愛国心は「日本建国の祖」を知らせることから 22
 ◆愛国者は「主(イエス)の僕」ではない! 23
 ◆佐藤定吉博士は天皇行法(あじまりかんと自霊拝)を解明できなかった 26
 ◆日本が世界の中心となる=「あじまりかん」の真義 29
あじまりかんQ&A 30
 Q 愛国心がタブーのようになっているわけは? 30
随想 あじまりかんの肝 理科系の発想について 31
編集後記32
アジマリカン人物評伝(36) 崇神天皇(三世紀頃)

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山蔭神道貴嶺宮訪問記 [Visiting Yamakage Shinto Kireiguu]

山気神道貴嶺宮にて(愛知県幸田)
山蔭神道貴嶺宮にて(愛知県額田郡幸田) [At Yamakage Shinto Kirei-guu (Kouda, Nukata district Aichi prefecture)]
 
山蔭神道貴嶺宮訪問記 [Visiting Yamakage Shinto Kireiguu]/斎藤 敏一 [Toshikazu Saito]
作成:2021年2月26日、最終更新:2021年8月8日
 
 

◆山蔭神道・貴嶺宮に参拝したこと [Having gone and worshiped at Ymakage Shinto, Kireiguu]
 私が初めて「あじまりかん」を称(とな)えて「あじまりかん体験」を持ったのは、2015年のことである。それ以来五年足らずだが、その間ずっと気になっていたことがある。
    It was in 2015 that I first chanted “Ajimarikan” and had an “Ajimarikan experience”. It’s been less than five years since then, but I’ve been worried about it all the time.

 ずっと気になっていたこととは、他ならぬ「あじまりかん伝承者」である山蔭神道のことだ。実は、私には室崎氏という友人がいて、四十年以上の付き合いなのだが、彼は若い頃(二十代)に山蔭神道で修行をしていたのだ。修行期間は三ヶ月ぐらいだったと聞いているが、どのような修行をしたのかについては聞いていない。
その友人が世話を何かと世話をやいてくれたお蔭で、筆者は先日(2021年2月22日)、貴嶺宮(山蔭神道の本部で、東海道線の幸田が最寄り駅)を訪問することができた。一度は参拝したいと思っていたところなので、願いが叶って感無量であった。
    What I’ve always been interested in is the Yamakage Shinto, which is none other than the “Ajimarikan successor.” To tell the truth, I have a friend named Murozaki, who has been with me for more than 40 years, but he practiced in Yamakage Shinto when he was young (in his twenties). He heard that he had been training for about three months, but he has not told me what kind of training he had done. Thanks to the friend who took care of me, the other day (February 22, 2021), I was able to visit Kireigu Shrine (the headquarters of Kirei-gu Shrine, where Koda on the Tokaido Line is the nearest station). did it. I had wanted to worship at least once, so my wish came true and I was impressed. 

 当日は筆者を含めて三人で訪問することになったが、我々が到着すると、当主の山蔭仁嘉師が出迎えて下さり、先ずは本殿に案内された。本殿ではかなり長時間、複数の祝詞を挙げて下さり、一人ずつ玉串奉奠(たまぐしほうてん)をして参拝の儀式が終わった。
    We were supposed to visit with three people including me on the day, but when we arrived, the owner, Mr. Hitoshi Yamakage, welcomed us and first guided us to the main shrine. At the main shrine, he gave several Shinto prayers for quite a long time, and each one performed a Tamagushi-hoten (the offering of a tamagushi, branch of sacred tree), and the worship ceremony was over.

 一連の祝詞朗誦の途中で、緩急自在に強弱をつけて打ち鳴らされる太鼓の音が、参拝者の五臓六腑に染みわたった。多分「正式参拝」と呼ぶのであろうが、筆者にとってそのような体験(特に太鼓を打ち鳴らす作法を見聞きすること)は初めてだったので、かなり驚いたのである。全身に浴びる迫力満点の太鼓の音に驚かされ、それだけでも「参拝しただけの値打ちがあった!」と思わずにはいられない体験であった。
    In the middle of a series of recitations of the Shinto prayers, the sound of the big drum (= Taiko), which were struck in a slow and fast manner, permeated the worshipers’ bowels. Perhaps it’s called “formal worship”, but I was quite surprised because it was the first time for me to have such an experience (especially to see and hear how to beat the big drum). I was amazed by the powerful sound of the drum that hit my whole body, and it was an experience that I couldn’t help but think, “It was worth the visit!” 

 最近の当会機関誌のテーマは「結び」である。少なくとも山蔭仁嘉師と筆者たちが、奇しき縁によって結ばれたことは間違いのない事実である。その労を執ってくれた室崎氏にはただ感謝である。
    The theme of our recent journal is “connection (= Musubi)”. There is no doubt that at least Rev. Hitoyoshi Yamakage and we were connected by a curious turn of fate. I am just grateful to Mr. Murozaki for taking care of that effort. 

◆「あじまりかん」の話が出なかった不思議 [The wonder that the story of “Ajimarikan” did not come out ]
 私にとっての山蔭神道とは、「あじまりかん伝承者」である。二千年近い時の流れを超えて「あじまりかん」を伝えてきた山蔭神道なのだが、山蔭師からは全く「あじまりかん」のお話は伺うことができなかった。私も完全に「あじまりかん」のことを忘れており、前日まで質問しようと思っていたこともすっかり飛んで行ってしまったようだ。
    For me, Yamakage Shinto is the “Ajimarikan succesor”. Yamakage Shinto has been telling “Ajimarikan” for nearly 2,000 years, but I couldn’t hear the story of “Ajimarikan” from Rev. Yamakage at all. I completely forgot about “Ajimarikan”, and it seems that the question I had been thinking about until the day before was completely gone. 

 お尋ねしたかったのは、「あじまりかん」に関して山蔭家に伝わっている資料がないかということや、基央師から何か「あじまりかん」の話を聞かれていないかといったことだ。
    What I wanted to ask was whether there was any material that had been passed down to the Yamakage family regarding “Ajimarikan”, and whether there was any story about “Ajimarikan” from Master Motohisa (= Rev. Hitoshishi’s father). 

貴嶺宮の愛想のよい猫
貴嶺宮の愛想のよい猫。ゴロゴロと喉を鳴らしてご機嫌な様子だったが、ご近所の飼い猫らしい [A friendly cat at Kirei-gu. She was in a good mood with a rumbling throat, but she seems to be a domestic cat in the neighborhood.]

 今回の貴嶺宮訪問で仁嘉師とのご縁が結ばれたので、今後は、前掲の質問なども含めて、何かあればお尋ねすることも可能だ。何か一つでも知らないことが出てきたら儲けものだ。今後に期待することにしよう。
    Since this visit to Kirei-gu has made a connection with Rev. Hitoyoshi, it is possible to ask any questions, including the questions mentioned above. It’s profitable if I don’t know anything about it. Let’s look forward to it in the future.

 思うに、「あじまりかん」は山蔭神道から筆者に移動したようだ(もちろん、今後も祝詞の中の一節として山蔭神道で称えられることがあると思うが)。だからというわけでもないが、訪問した山蔭神道・貴嶺宮は、春のうららかな日差しの中で、のどかで静かなたたずまいであった。「いい天気だニャー」と、たまたま登場した愛想のよい猫が、そのことを証していたような気がしてならない。
    I think “Ajimarikan” has moved from Yamakage Shinto to me (although I think it will continue to be praised in Yamakage Shinto as a passage in the congratulatory words). That’s not to say, but the Kirei-gu Shrine, which I visited, had a peaceful and quiet appearance in the bright spring sunshine. I felt like the amiable cat that happened to appear, saying, “It’s nice weather, meow,” proved that.

 今後は、大神呪「あじまりかん」の話は、私が伝えてゆけばよいということだ。
 そういう伝言を貴嶺宮の猫から受け取ったのである(ここは本気にしていただかなくてもよい)。(あじまりかん通信第21号より転載)
    From now on, the story of the great god curse “Ajimarikan” should be told by me. I received such a message from the cat at Kirei-gu (you don’t have to be serious about it here).
(Reprinted from Ajimarikan Newsletter No. 21)

 
 
 
 

最終章 結論ーアジマリカンは聞こえる神 [Final Chapter Conclusion – Ajimarikan is Kami that can be heard]


◆アジマリカンの正体とは [What is the true identity of Ajimarikan?]

 本論において私が伝えたかったのは、「『アジマリカン』というコトバが日本に保持されてきた」という事実と、「『アジマリカン』は人や国家が神となる方法論である」というメッセージである。
 In this paper, I wanted to convey the fact that “the word “Ajimarikan” has been retained in Japan” and the message that “‘Ajimarikan’ is a methodology by which humans and nations become kamis (= gods)”.

①「アジマリカン」という「神になるためのコトバ」が日本に存在する。
②「『アジマリカン』を念じて神になった」事例(=私)が存在する。
③私以外にも「アジマリカン」で神になった人がいるに違いない。
(1) There is a “Kotoba (= word) to become a kami” called “Ajimarikan” in Japan.
(2) There is a case (= of me) “becoming a kami by praying ‘Ajimarikan'”.
(3) There must be someone other than me who became a kami with “Ajimarikan”.

 2021年時点では、上記の三点を主張するだけで良しとしなければならない。私の中では①と②の両方とも事実として認識しているが、他人に正しく伝えるは少ない。
 本論の読者が自分自身で「アジマリカン」を唱えることによって、神の直接認識への道が開けるのである。
 As of 2021, all we have to do is to assert the above three points. I recognize both (1) and (2) as facts, but I have little way to tell others correctly.
 When the reader of this paper chants “Ajimarikan” by himself can open the way to the direct recognition of God by chanting “Ajimarikan” by himself.

 上記の②では、私自身を「アジマリカンで神になった」事例としているが、もちろん、自分の中でそのように感じているという話である。実際には、私以外にも多くの人が既に神になっているのではないかと想像しているのである。「人が神になる」というのは、その人の中の神=直(なお)霊(ひ)が表に出るという現象である。『日本とはどんな国』を残された佐藤定吉博士は、同著を読む限りでは、神になった事例としてよいと考えている。
 In (2) above, I take myself as an example of “becoming a kami in Ajimarikan”, but of course, it is a story that I feel that way within myself. In reality, I imagine that many people other than me have already become kamis. “A person becomes a kami” is a phenomenon in which the kami in that person = Naohi (= a direct spirit) appears. Dr. Teikichi Sato, who left behind “What kind of country is Japan?”, as far as reading the book, is thought that it is a good example of becoming a kami.

 直霊を持たない人はいない。「アジマリカン」を唱えれば直霊が表に出て、その結果、「自分は神であるという自覚」が出てくるのである。その時には、「アジマリカン」が自分の腹中に入り切りになったと感じる。つまり、自分とアジマリカンの区別が付かなくなる。そういう非常に不思議な「人から神へと切り替わる」体験が発生するのである。そういう方がボツボツ出現してもよい頃だ。本論を読まれて「自分は神になった」と思われる方は是非声を上げて欲しい。あるいは、次に「アジマリカン」で神に成るのは貴方の番である。
 No one exists who does not have Naohi (= a direct spirit). If you chant “Ajimarikan”, your Naohi will come out, and as a result, “awareness that you are a kami” will come out. At that time, I feel that “Ajimarikan” is completely within me. In other words, I cannot distinguish myself from Ajimarikan. Such a very mysterious “switching from person to kami” experience occurs. It’s about time that such a person may appear steadily. If you read this article and think that you have become a kami, please raise your voice. Or next, it is your turn to become a kami next with “Ajimarikan”.

 本論の結論は、「アジマリカンは聞こえる神である」ということだ。見えない神を聞こえるようにしたコトバ。それが「アジマリカン」なのである。近い将来、渦の御宝・アジマリカンが世界に大旋風を巻き起こす(予定である)。
 The conclusion of this paper is that “Ajimarikan is an audible kami”. Kotoba (= a word) which made it possible to hear the invisible kami. That is “Ajimarikan”. In the near future, the vortex treasure, Ajimarikan, will create a great whirlwind in the world (planned).

◆未解決項目←要検討 [Unresolved items <- to be discussed]

 本論では、「アジマリカン」というコトタマについて検討してきた。最後に、私が未解決、あるいは、要検討と判断したことについて、今後のために整理しておきたい。
 In this paper, we have examined the word “Ajimarikan”. Finally, I would like to summarize what I have determined to be unresolved or need consideration for the future.

①アジマリカン=コトタマ=直霊=内なる神 [(1) Ajimarikan = Kototama = Naohi = Inner kami]

 大神呪アジマリカンを唱えるという自力的行為によって、本当に神になれるのか自問自答することしばしばである。その行為は一見自力であるが、外から神の霊(=直(なお)霊(ひ))が飛び込んでくるように観じられる。
 I often ask myself if I can really become a kami by the self-reliant act of chanting the great Kami’s spell Ajimarikan. At first glance, the act is self-reliant, but it seems that the spirit of Kami (= the direct spirit) jumps in from the outside.

 この疑問がいつの日か解消されることを希望するが、現在の認識としては「アジマリカン=コトタマ=直霊=内なる神」という等式が成り立っているように感じられる。一層の研究が必要であろう。
 I hope that this question will be resolved someday, but the current perception seems to be that the equation “Ajimarikan = Kototama = Naohi = Inner kami” holds. Further research will be needed.

②超能力や超人的修行は本当に必要か [(2) Is supernatural power or superhuman training really necessary? ]

 直霊という神の分霊について深く知りたいと考えて、『川面凡兒―日本人の霊性に多大な影響を与えた神人』(氷川雅彦、光祥社Kindle 版、2014年)を参照した。読むと「川面凡児という人はすごい人だった」ということは分かるのだが、全く感銘を受けることはなかった。
 I wanted to know more about Naohi which is the divided spirit of the Kami, Bonji Kawazura – A kami-person who had a great influence on the spirituality of the Japanese (Masahiko Hikawa, Kindle Edition, 2014). I can understand that “Bonji Kawazura was a great person”, but the book wasn’t impressed at all.

 その理由ははっきりしている。著者の氷川氏の姿勢「偉人の業績を紹介して事足りる」に納得できなかったのである。過去の超絶的神道修行者の話を紹介しても無意味であると断言できる。どうして無意味かと言えば、「私も貴方も川面凡児にはなれない」ことが明らかだからである。そういう太鼓持ちの輩が、偉人と言われている方の業績をどんなに紹介しようが、凡人には全く真似ができない。川面凡児のように非凡な超人的人物の話を得々と展開するというのは如何なものか(無性に腹が立つ)。絵に描いた餅は食べることができない!
 The reason is clear. I was not convinced by the attitude of the author, Mr. Hikawa, “It is enough to introduce the achievements of great men”. It can be asserted that it is meaningless to introduce the stories of past transcendental Shinto practitioners. The reason why it is meaningless is that it is clear that “neither I nor you can be Bonji Kawazura”. No matter how much such a person with a drum introduces the achievements of a person who is said to be a great man, ordinary people cannot imitate him at all. What is it like to develop the story of an extraordinary superhuman person like Bonji Kawazura? (I had an urge to get angry.) We can’t eat the rice cake drown in the picture!

 上記の例と全く同じ理由で、以下の人物の業績は認めることができるが、彼らの残した道は評価できない。その人の生き方を真似することは不可能だし、真似したくもないからだ。どなたも不世出ともてはやされる人物だが、気に入らないのである。
 For exactly the same reasons as in the example above, the achievements of the following persons can be acknowledged, but the path they have left cannot be evaluated. It is impossible and unwilling to imitate that person’s way of life. Everyone is praised as a peerless, but I don’t like them.

1.イエス・キリスト(「我一人神の子」という不自然な教えを説いた)
2.出口王仁三郎師(『霊界物語』という確かめようのない教えを説いた)
3.五井昌久師(「我が名を呼べ」と語り、信者を自分に依存させた)
1.Jesus Christ (preached the unnatural teaching of “I am only Son of God”)
2.Rev. Onisaburo Deguchi (preached the uncertain teaching of “The Story of the Spiritual World”)
3.Rev. Masahisa Goi (Speaking “Call my name” and made believers dependent on himself)

 だが、アジマリカンは誰でも唱えることができる。アジマリカンを唱えることは極めて簡単で誰でもできるからである。上記の三人は確かに聖者かも知れないが、凡人の参考にはならない。その意味で、非凡なことは大いなる誤りである。いやしくも宗教的指導者たる者は、人が真似したくても真似できないような超人的存在になってはならないのである。エライ人をいくら誉めても世界は良くならない。そういう無意味なことはいい加減に止めるべきだ。
 However, anyone can chant Ajimarikan. This is because chanting Ajimarikan is extremely easy, and anyone can do it. The above three persons may be saints, but they are not helpful to ordinary people. In that sense, extraordinary is a great mistake. A person who is a religious leader must not be a superhuman being who cannot be imitated even if he is wanted to be imitated. No matter how much you praise the great people, the world will not be improved. Such meaningless things should be stopped henceforward.


 非凡な人間の残した業績は凡人の役に立たない。仮に彼らが非凡な人物であったとしても、そういう生き方を選択してはならなかった。彼らは皆超人的だが、根本的なところで間違っていた。彼らの元にいれば、後進は彼ら教祖を越えてゆくことができないからだ。
 これは、斎藤という一人の「アジマリカン行者」からの批判である。私は、凡人でもすぐに実行可能な「アジマリカンの道を広めたい」と心底から願っている。
 The achievements left by extraordinary human beings are useless to ordinary human beings. Even if they were extraordinary people, they should not choose such a way of life. They are all superhuman, but fundamentally wrong. For them, the younger generation cannot go beyond their gurus.
 This is a criticism from one “Ajimarikan ascetic” named Saito. I sincerely hope to spread the way of Ajimarikan that even ordinary people can do it immediately.

③渦の御宝「アジマリカン」は大神の最終兵器か [(3) Is the vortex treasure “Ajimarikan” the ultimate weapon of the Great Kami? ]

 本論の最後になるが、果たして「アジマリカン」は大神の世界改造のための御神宝なのか。もしそうならば、この御神宝によって世界はどのように改造されてゆくのかが気になるところだ。斎藤には神通力はないので、これからどういう未来図が展開するのかを語りたくても、その未来図を霊視することはできない。よって、頭を捻るしかないということになる。
 Last in this paper, is “Ajimarikan” a sacred treasure for the remodeling of the world of the Great Kami? If so, I am wondering how the world will be remodeled by this sacred treasure. Saito has no magical power, so even if I want to talk about what kind of future map will develop, I cannot envision that future map. Therefore, I have no choice but to twist my head.

 拙著『日本建国の秘密 ヤコブ編』では、私が旧約聖書時代のヤコブだったという話が出てくるが、ヤコブが描いていた未来図についてだったら少し話せそうだ。
 In my book, “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition”, there is a story that I was Jacob in the Old Testament era, but I think I can talk a little about the future map that Jacob had drawn.

「第三章 アジマリカンの歴史的属性」において、ヤコブが天使(実は異星人)と夜中に相撲を取ったことを書いた。旧約聖書時代のヤコブ=日本建国時のアメノヒボコ=現在の私であるから、話がややこしくなる。そういう輪廻転生譚は斎藤の中の事実かも知れないが、大嘘かも知れないからだ。だが、イスラエルの風が吹いてきたという私のイスラエル体験とは、私の霊的本体(あるいは、守護神)がヤコブであるという意味になる。そういう話を本に書くのはタブーらしいが、書いてしまったものは仕方がない。書いた後で地道に裏付けを取ってゆくしかないのである。
 In “Chapter 3 Historical Attributes of Ajimarikan”, I wrote that Jacob wrestled with an angel (actually an alien) in the middle of the night. Jacob in the Old Testament era = Amenohiboko at the time of the founding of Japan = the current me, so the story gets confusing. Such a reincarnation story may be a fact in Saito, but it may be a big lie. And my Israeli experience of the Israeli wind blowing means that my spiritual main body (or guardian deity) is Jacob. It seems taboo to write such a story in a book, but there is no help for what I have written. After writing, there is no choice but to steadily support it.

 私が『ヤコブ編』で語ろうとしたのは神の問題である。いつも言っていることだが、西欧文明を支えてきたキリスト教のGodには実体が存在しないのである。ところが、アジマリカンというコトバには間違いなく実体が存在する。つまり、アジマリカンには霊的な裏付けがあるのだ。その実体はGodではない神、造化三神と直霊(人間の中の神)なのである。今後は、西欧文明はなくなる(ほとんどゴミなので焼却)とだけ言っておこう。
 What I tried to talk about in “Jacob Edition” is a matter of Kami. As I always say, there is no substance in the Christian God that has supported Western civilization. However, there is definitely an entity in Kotoba (= the word) called Ajimarikan. In other words, Ajimarikan has spiritual confirmation. The substance is Kami that is not God, the three Kamis of creation and the Naohi (= direct spirit, the kami in human). Let’s just say that Western civilization will disappear (incineration because it is almost garbage) in the future.

 古代の宇宙人が地球人類に対して余計なお世話を焼いてきたのだが、もう世話焼きは要らない。自分の星に帰ってくれ。地球のことは地球人でやるからあなた達は自分の星に帰れ、と言いたいのだ。西欧文明はなくなって日本文明だけになるからである。この場合の日本文明とは、精神的には縄文のところまでバックする(=純化する)のだが、日本文明の中の西欧化された要素はきれいサッパリなくなる。もちろん、日本はなくならないどころか、地球全部が日本になるのだ。日本文明の質も決定的に変化する。先ずは要らないものを全部捨てて身軽になるところから、世界改造がスタートするのである。この話を書き始めたら止まらなくなるので、ここでストップする。
 Ancient aliens have taken extra care of humankind on Earth, but no more care is needed. Go back to their own star. I want to say that they can go back to their own star because the earth’s matters  are done by earthlings. This is because the Western civilization disappears and only the Japanese civilization becomes. The Japanese civilization in this case mentally backs up to the Jomon period (= purifies), but the westernized elements in the Japanese civilization are totally cleaned. Of course, far from Japan disappearing, the whole earth will become Japan. The quality of Japanese civilization will also change decisively. First of all, the world remodeling starts from the place where all unnecessary things are thrown away and it becomes lighter. I can’t stop writing this story, so I’ll stop here.

 今後の展望は、アジマリカンで神になった人が何人登場するかで決まる。折角「アジマリカン」というコトタマを唱えるアジマリカン行者になった以上、神になってもらわないと困るというのが、斎藤の希望である。アジマリカンで自分が神になったと思えたら斎藤までご一報を。神どうしで地球の未来について語り合おうではないか。世界改造を実際に行うのは「神になったアジマリカン行者たち」なのだ。「アジマリカンをやる人は自分のことだけ考えているんじゃない、世界のことを考えなさい」と日本の神々は訴えている。アジマリカンをネタにして仲良し会をやって盛り上がったとしても、日本や世界は変わらないのである。
 The future outlook depends on how many people have become kamis in Ajimarikan. It is Saito’s hope that since they have become Ajimarikan performers who recite the word “Ajimarikan”, they should become kamis. If you think you have become a kami with Ajimarikan, please let Saito know. Let’s talk about the future of the earth, the same kami and kami together. It is the “Ajimarikan ascetics who have become kamis” who actually perform the world remodeling. “Ajimarikan ascetics must think about the world, not just yourself”, the Japanese kamis appeal strongly. Japan and the world will not change even if we have a good friendship party with Ajimarikan as a material.

 この場合、アジマリカン行者たちが大神の器となる。アジマリカン行者が立ち上がらないでどうする。アジマリカン行者以外に世界改造できる人間はいない。人任せじゃ世界は絶対に良くならない。そのことを腹の底から分かってほしい。アジマリカンをやっているということは、そういう意味なのだ。貴方が世界を改造するのだ。
 In this case, the Ajimarikan ascetics become the vessels of the Great Kami. What to do if the Ajimarikan ascetics do not stand up. There is no one who can remodel the world other than the Ajimarikan ascetics. The world will never been improved if you leave it to others. I want you to understand that from the bottom of your stomach. That’s what it means to be doing Ajimarikan. You remodel the world.

 そういう近未来が来ることは間違いない。神人が一杯出て来ないと話にならないのである。そのためにアジマリカンが存在する。神人が集まって知恵を出し合って企み事を進めるのである。望むべき未来の地球をデザインしなければならない。それはそれは楽しい創造の時代がやってくるのだ。
 聖書の黙示録を引き合いに出して、「破壊の後にキリストがやって来て千年王国を創造する」などということがまことしやかに語られる。だが、それはとんでもない噓である。「破壊じゃ駄目でしょう。不要物の廃棄でしょう」
 There is no doubt that such a near future will come. It will not be talked about unless a lot of kamis come out. That is why Ajimarikan exists. The kamis gather and share their wisdom to proceed with the plot. We must design the future earth that we should hope for. It’s an era of fun creation.
 Citing the apocalypse of the Bible, it is said that “Christ will come after destruction and create a millennial kingdom”. But it’s a ridiculous lie. “Destroying is impossible. Must abandon unnecessary things”.

 そういうことなのだ。要らないものを整理するだけでよいのである。世間でそういう発想しか語られないのは、「みろくの世」がどんなものかまるで分かってないからである。とどめの神が表に出るとはそういうことなのだ。最初に要らないものを「アジマリカン精神」で大掃除するのである。「地球が駄目になってしまうから火星に行かなきゃならない」などという番組をヒストリー・チャンネルやディスカバリーチャンネルで盛んに放映しているのだが、それは本末転倒もいいところである。先に地球のメンテナンスをすれば、現在・未来の人類を養う十分な容れ物が出来上がるのだ。
 That’s what it is. All you have to do is sort out what you don’t need. The reason why only such ideas can be talked about in the world is that they do not know what the “Miroku no yo (= Maitreya world)” is like. That’s what it means for the final Kami to come out. Clean up what you don’t need first with the “Ajimarikan mind”. Programs such as “I have to go to Mars because the earth will be ruined” are being actively broadcast on the History Channel and the Discovery Channel, but that is also putting the cart before the horse. If we maintain the earth first, we will have enough containers to feed humankind now and in the future.

 米国の科学系TVチャンネル(スカパーなどで放映)は、もちろん、日本よりは数歩先を行っているので、楽しませてもらっている。だが、「火星開発」という発想はいただけない。「先ず地球をどうするか」という解答が示されていない。私達の地球をどのように改造すれば良くなるのかというビジョンが全く出て来ていないのである。世界の地域紛争や地球温暖化問題ばかりに目が行っているだけで、根本的な施策を出せている人はいない。これは本当にそうなのである。
Of course, the US science TV channel (aired on SKY PerfecTV, etc.) is a few steps ahead of Japan, so I am entertained. However, the idea of ​​”Mars development” cannot be employed. The answer “what to do with the earth first” is not shown. There is no vision of how to remodel our planet. No one has taken fundamental measures, just focusing on the world’s regional conflicts and global warming issues. This is really the case.

 ヒントは次の通りだ。

 (A)先ず地球を掃除する。
 (B)地球を掃除した後に築いてゆくべき社会のあるべき姿を考える。

 順番にやっていかなければならない。ただし、この(A)・(B)は同時に考えるのだ。この作業は「ああでもない、こうでもない。こうしよう、ああしよう」と非常に面白いものになる予定である。
Here are some tips:

   (A) First, clean the earth.
   (B) Think about what society should be like to build after cleaning the earth.

   You have to do it in order. However, think of these (A) and (B) at the same time. This work will be very interesting, saying, “Not that, not this. Let’s do this, let’s do that.”

 今私が語れるのは、それくらいである。
 本論の背景をより深く理解するには、拙著『日本建国の秘密 ヒボコ編/ヤコブ編』、『アジマリカンの降臨』を参照されたい。これらの作品には、アジマリカンと日本の歴史との関係、アジマリカンと人類史の関係が語られている。人類史をスッキリと理解するには日本建国を理解するのが最も早道である。歴史や神の問題に興味のある方は是非挑戦していただきたい。
 That’s all I can talk about right now.
 For a deeper understanding of the background of this paper, please refer to my book, “The Secret of the Founding of Japan, Hiboko Edition/ Jacob Edition” and “The Advent of Ajimarikan”. These works talk about the relationship between Ajimarikan and Japanese history, and the relationship between Ajimarikan and human history. The fastest way to understand human history is to understand the founding of Japan. If you are interested in history and God’s problems, please try it..
 

第四章 個のアジマリカンと公のアジマリカン [Chapter 4 Individual Ajimarikan and public Ajimarikan]

◆システムエンジニアが捉える神とは [What is Kami as a system engineer? ]

 既述の「『アジマリカン』と『トホカミエミタメ』の比較」や「世界史上の日本建国の意味」より、この地球世界を設計した設計者がいるのではないかというところまで想定した。これはあくまでも類推に基づく結論の推定に過ぎない。だが、そのような想定をしなければ、我々の住む地球世界のあるべき姿を描き出すことは困難である。
 From the above-mentioned “Comparison of ‘Ajimarikan’ and ‘Tohokamiemitame'” and “Meaning of the founding of Japan in the history of the world”, I assumed that there might be a designer who designed this world. This is just an estimation of the conclusion based on analogy. However, without such an assumption, it is difficult to depict what the global world we live in should be.

 私がここで焦点を合わせようとしているのは、「地球世界には中心が存在する」という命題だ。ヒストリー・チャンネルで放映中の『古代の宇宙人』シリーズは、非常に面白い番組で、毎回欠かさず見ている。同番組は歴史以前の古代からの「人類文明のあり方」を教えてくれているからである。同番組の原題は「Ancient Aliens」で、主たるコンセプトは「古代に宇宙人が地球を訪れて人類文明の発展を導いた」というものだ。
 What I am trying to focus on here is the proposition that “there is a center in the earth world”. The “Ancient Aliens” series, which is airing on the History Channel, is a very interesting program that I watch every time. This is because the program teaches us “the ideal way of human civilization” from ancient times before history. The main concept of the program is that “aliens visited the earth in ancient times and led the development of human civilization.”

プロメテウス・エンタテインメントがドキュメンタリー・スタイルで制作したこの番組は、古代宇宙飛行士説を提唱し、史料・考古学・伝説には過去に人類が地球外知的生命体と接触した証拠が含まれていると主張している(ウィキペディアより)。
Produced in a documentary style by Prometheus Entertainment, the show advocates the theory of ancient astronauts, and historical sources, archeology, and legends include evidence of human contact with extraterrestrial intelligent life in the past. (From Wikipedia).

 古代宇宙飛行士説には大きな問題がある。大きな問題とは、同番組に登場する「神々」という存在だ。番組製作者は、暗黙で「古代宇宙飛行士=神々」と呼んでいる。「古代宇宙飛行士が神々として記録された」という考え方に暗黙的に含まれている「神々という存在」が大問題なである。もっと分かり易く言えば、彼ら古代宇宙飛行士を「神々」と呼ぶこと自体が間違いの元なのである。
 There is a big problem with the ancient astronaut theory. The big problem is the existence of “gods” that appear in the program. The program producer implicitly calls it “ancient astronauts = gods”. The “existence of gods” implicitly included in the idea that “ancient astronauts were recorded as gods” is a big problem. To put it more simply, calling these ancient astronauts “gods” is a source of error.

ツォカロス
益田の岩舟の前で語るジョルジョ・A・ツォカロス氏 [Giorgio A. Zocalos speaks in front of Masuda Iwafune]

 同番組のメイン・ホスト=ジョルジョ・A・ツォカロス氏は、番組の中で度々「古代の人類は、古代の宇宙飛行士を神と勘違いし、彼らの発達したテクノロジーを奇跡と勘違いした」という主旨を語っている。私もツォカロス氏の説には同意しているが、氏の説を正しく理解するには、氏が用いる「神」、「神々」という言葉の意味を明確にしておく必要がある。
 Giorgio A. Tsoukalos, the main host of the program, often said in the program that “ancient humans misunderstood ancient astronauts as gods and their developed technology as miracles”, is talking about. I agree with Mr. Tsoukalos’s theory, but in order to understand his theory correctly, it is necessary to clarify the meaning of the words “God” and “gods” used by him.

 問題は「神」という言葉の使い方だ。番組内で使われている「神」という言葉は、キリスト教世界では「全知全能の神(=God)」という意味になっている。それが問題なのだ。古代の宇宙人は人類に似た生命体であって神ではない。よって、「神」という言葉は不用意に使うべきではない。古代の人類は、彼らの持つ科学技術の力を「神の力」だと勘違いしたあげく、そういう力を振るう彼らを神と誤解したのだ。旧約聖書の神とはそのような存在である。彼ら古代の宇宙人については「神」と呼んではならない。常に「異星人」と呼ぶべきである。
 The problem is how to use the word “God”. The word “God” used in the program means “God, omniscient and omnipotent” in Christendom. That’s the problem. Ancient aliens are human beings, not gods. Therefore, the word “God” should not be used carelessly. Ancient human beings misunderstood the power of science and technology that they possessed as “the power of God”, and misunderstood those who wielded such power as God. That is the God of the Old Testament. Do not call them “gods” about the ancient aliens. We should always call it an “alien”.

『古代の宇宙人』という番組を見ていて常に思うのは、「西欧文明の起源は彼ら異星人がもたらした」という事実である。彼らがもたらした西欧文明は、極めて質が悪い。西欧文明とは要するに、「分割支配」、「物質主義」、「お金による支配」という思想に基づいており、とっくに限界が来ている。彼らがやったことは極めてお粗末なものなのだ。地球は全く彼らの支配を喜んでいないのである。金持ちが神となって、地球を勝手に利用するというものでしかない。ツォカロス氏も,その点については全く気付いていない(あるいは、気付かないふりをしている)。氏は同番組の取材で日本にも来ているのだが、日本文明が西欧文明の対極にあることを全く学んでいない。西欧文明を疑っていないように見える。
 When I watch the program “Ancient Aliens”, I always think of the fact that “the origin of Western civilization came from these aliens”. The Western civilization they brought is of extremely poor quality. In short, Western civilization is based on the ideas of “divisional rule”, “materialism”, and “rule by money”, and has reached its limits. What they did is extremely poor. The earth is not pleased with their rule at all. The rich peoples become gods and uses the earth without permission. Mr. Tsoukalos is completely unaware (or pretending to be unaware) of that. He also came to Japan to cover the program, but he has never learned that Japanese civilization is the opposite of Western civilization. He seems no doubt about Western civilization.

 旧・新を問わず聖書の神(God、gods)は異星人、または、観念の神に過ぎない。また、イエス一人を神とするキリスト教も早晩消えてしまうものでしかない。とにかくイエスという人物は最初から最後まで徹頭徹尾不自然な男であり、本人の自己実現の状態如何に関わらず、造られた存在でしかないのである。
 God or gods of the Bible, old and new, are nothing more than aliens or gods of ideas. Also, Christianity with Jesus alone as a god will disappear sooner or later. Anyway, the person named Jesus is an unnatural man from the beginning to the end, and he is nothing more than a created existence regardless of his self-realization state.

 私が最も神聖性を感じる神(正確には「神の顕現」)とは、大神呪「アジマリカン」というコトバである。「アジマリカン」なる神は、一切を包みこむ宇宙のようなコトタマなのだ。それは、『古代の宇宙人』に出てくる神々には似ていないし、キリスト教の神とは全く異なるし、自身を神として振る舞ったイエスという人物からは遙かに遠い本物の神である。
 Kami (= God) I feel most sacred (to be exact, “the manifestation of Kami”) is the great Kami’s spell “Ajimarikan”. The Kami “Ajimarikan” is a cosmos-like Kototama that envelops everything. It does not resemble the gods that appear in “Ancient Aliens”, it is completely different from the Christian God, it is the real Kami far from the person named Jesus who acted himself as God.

 古神道には「一神即多神、多神即一神」という神認識の仕方がある。これは西欧的な神認識のあり方とは大きく異なっており、『古代の宇宙人』のホスト、ツォカロス氏も全くご存じではない。の神も一神から発しているという思想は、西欧人には全く理解できないらしい。その点が神道の分(わ)かりさとなっているが、私たち日本人は感覚的に理解できるので、多くの説明は要しない。「一神即多神、多神即一神」という感じ方は自然なことだからである。日本的な神認識のあり方こそが世界平和の基盤となるのである。
 In Ko-Shinto, there is a way of recognizing the kami as “One kami Immediately many kamis, many kamis Immediately one kami”. This is very different from the Western way of god recognition, and Mr. Tsoukalos, the host of “Ancient Aliens”, does not know at all. It seems that Westerners cannot understand the idea that eight hundred thousand kamis also originate from one kami. This makes Shinto difficult to understand, but we Japanese can understand it sensuously, so we don’t need much explanation. This is because the feeling of “One kami Immediately many kamis, many kamis Immediately one kami” is natural. The Japanese way of recognizing Kami is the basis of world peace.

◆個人の「アジマリカン」が爆発的にヒットしたこと [The explosive hit of the individual “Ajimarikan”]
 私の著作のうちで、最初の年(2017年)に出版したのは、『アジマリカンの法則』と『アジマリカンの降臨』の二冊である。両者は時間差で出版されたが、最初に出たのは『アジマリカンの法則』の方である。だが、実際の処女作は『アジマリカンの降臨』の方だった。
 Two of my books were published in the first year (2017), “The Law of Ajimarikan” and “The Advent of Ajimarikan”. Both were published with a time lag, but the first one was ” The Law of Ajimarikan”. However, the actual virgin work was “The Advent of Ajimarikan”.

 読者の反応がどうだったかと言えば、圧倒的に『アジマリカンの法則』の方が好評で、Amazonでベストセラーの地位を九週間維持した。これには書いた本人もびっくりしたのだが、読者の受けが非常に良かったのである。
 Speaking of how the readers responded, “The Law of Ajimarikan” was overwhelmingly popular, and it maintained its best-selling position on Amazon for nine weeks. I who wrote it was surprised at this, because the readers received it very well.

 出版者側で大いに宣伝して下さったり、講演会をプロデュースして下さったり、松山を皮切りに各地で開催した「アジマリカン講座」に多くの方が参加して下さったりと、色々な成功要因が重なって良い結果を生んだようだ。動員力のある方々の自発的協力があっての成功だったと評価できる。
 Various success factors overlapped, such as the publisher making a lot of publicity, producing lectures, and many people participating in the “Ajimarikan course” held in various places starting from Matsuyama. It seems to have produced good results. It can be evaluated that it was a success with the voluntary cooperation of mobilized people.

 当時の盛り上がりは、私宛てのメールの数に素直に反映されている。今それらのメールを読み返してみると、当時の盛り上がり方は普通ではなかったという感を深くする。「ものすごかったなあ」という、感慨にふけるほどのメールの多さである。
 The excitement at that time was honestly reflected in the number of emails addressed to me. When I read back those emails now, I deepen the feeling that the excitement at that time was unusual. There were so many e-mails that I was deeply moved, saying, “It was amazing.”

 当時の「アジマリカン」ブームの盛り上がりを強いて命名するとすれば、徹底的に「個人のアジマリカン」だったのである。つまり、参加された多くの方にとって「アジマリカン」は一種のであって、実際に霊験あらたかであった。結果がすぐに自分に返ってきたのでとても面白かったのである。だから盛り上がったのだ。
 If the name was to force the excitement of the “Ajimarikan” boom at that time, it was “individual Ajimarikan”. In other words, for many who participated, “Ajimarikan” was a kind of suddenly popular god, and it was actually wonder working. It was very interesting because the results came back to me immediately. That’s why it was exciting.

 だが、大流行した「アジマリカン」も流行が去れば静かになる。いつまでも右肩上がりで流行が維持されるということはなかったのだ。私自身の当時の気持ちはどのように推移したのか。
 However, the epidemic “Ajimarikan” will become quieter when the epidemic goes away. The epidemic did not last forever. How did my feelings at that time change?

 沢山の人が「アジマリカン」に乗って参加していただくということは嬉しいし、ありがたいことではあった。だが、その一方では「本当に言いたいことは他にある」という気持ちがあったのだ。同時に「自分が本当に言いたいことを言っても理解されないだろう」という強い予感もあった。
 I was happy and grateful that many people participated in the “Ajimarikan”. However, on the other hand, there was a feeling that “there is something else I really want to say”. At the same time, I had a strong premonition that they would not understand what I really wanted to say.

◆本当は「公のアジマリカン」を伝えたかった [I really wanted to convey “public Ajimarikan”]
 案の定、売れてほしかった処女作『アジマリカンの降臨』の方は、『アジマリカンの法則』ほどは売上が伸びなかったのである。私は物作りは得意でも販売のための営業は苦手であった。そのこともあって、期待通りの結果にはならなかった。「武士は食わねど高楊枝」と負け惜しみを言っていても、売れないのはやっぱり寂しいものだ。
 Sure enough, the virgin work “The Advent of Ajimarikan”, which I wanted to sell, did not grow as much as “The Low of Ajimarikan”. I was good at making things, but I was not good at sales. Partly because of that, the results were not as expected. Even if I say, “A samurai pretends he has eaten well when he has no food”, it’s lonely that I can’t sell.

 私が『アジマリカンの降臨』で訴えたのは「公のアジマリカン」で、『アジマリカンの法則』で訴えたのは「個のアジマリカン」だった。このように両作品は対極をなしている。
 In “The Advent of Ajimarikan”, I talked about “public Ajimarikan”, and in “The Law of Ajimarikan”, I told about “individual Ajimarikan”. In this way, both works are opposite.

 前者の副題は「一輪の秘密が完全解明された!」、後者の副題は「唱えるだけで願いが叶う」となっている。前者は「公のアジマリカン」、後者は「個人のアジマリカン」が各々テーマとなっていた。
 The subtitle of the former is “The secret of one wheel has been completely clarified!”, And the subtitle of the latter is “The wish will come true just by chanting”. The theme of the former was “public Ajimarikan” and the theme of the latter was “individual Ajimarikan”.

 当時の私の本音を言ってしまえば、「唱えるだけで願いが叶う『アジマリカン』」にはあまり興味はなく、そういう本はできれば書きたくなかったのである。だが、出版者は、それを書くことを強く提案した。「個人の『アジマリカン』」の方が需要が高いことが明らかだったからである。確かに、最初に出版した『アジマリカンの法則』は、この種の本(Amazonだけで販売)としてはヒットしたのである。
 To tell you the truth at that time, I wasn’t very interested in “Ajimarikan” which makes your wish come true just by chanting, and I didn’t want to write such a book if possible. But the publisher strongly suggested writing it. This is because it was clear that the demand for “individual Ajimarikan'” was higher. Certainly, the first published book “The Law of Ajimarikan” was a hit for this kind of book (sold exclusively by Amazon).

 ヒットした本を書いた結果として、様々なイベントも成功したし、評判も良かったのだが、満足することはなかった。「これは私が本当にやりたかったことではない」という気持ちが強かったからである。自分の気持ちに反してまで「売れる本」を書かなければならないという状況は、楽しいものではない。その状態を続けていてはいけないと思ったのである。
 As a result of writing a hit book, various events were successful and well received, but I was not satisfied. I had a strong feeling that “this is not what I really wanted to do.” The situation where I have to write a “book that sells” against my own feelings is not fun. I thought I shouldn’t stay in that state.

 なぜならば本当に私が伝えたいメッセージとは、最初から「公のアジマリカン」だったからである。「一輪の秘密」とは、大本などの宗教で「一厘の仕組」とも呼ばれる「とどめの神の経綸」である。「個人のアジマリカン」だけでは、日本は良くならないし、また、世界も変わらないからだ。
 Because the message I really wanted to convey was “public Ajimarikan” from the beginning. “The secret of one wheel” is the “final Kami’s governing”, which is also called “the mechanism of Ichirin(=One bit)” in religions such as Omoto. This is because Japan will not be improved and the world will not change with “individual Ajimarikan” alone.

 自分のために「アジマリカン」をどんなに唱えようが、その人が住んでいる小さな世界を越えてまで良くなることはない。だから「唱えるだけで願いが叶う」は個人用なのだ。「一厘の仕組」という公の「アジマリカン」を実践することによって、日本レベル、世界レベルに神を注入する必要がある。
 No matter how much you chant “Ajimarikan” for yourself, it won’t improve beyond the small world in which you live. That’s why “just chanting will make your wish come true” is for personal use.
It is necessary to inject God into the Japanese level and the world level by practicing the public “Ajimarikan” called “the mechanism of Ichirin(=One bit)”.

 具体的には、国家の仕事に対して深く関わっているような政治家やトップレベルの官僚、天皇陛下が「アジマリカン」を遂行する必要がある。「公のアジマリカン」とはそういうものである。
 Specifically, politicians, top-level bureaucrats, and His Majesty the Emperor, who are deeply involved in the work of the nation, need to carry out the “Ajimarikan”. That’s what the “public Ajimarikan” is.

筆者注:今上天皇陛下(皇太子時代は徳仁親王殿下)は神格を持たれており、世界天皇の身(み)霊(たま)であらせられる。今上天皇陛下は最初から「アジマリカン」(=神)そのもののお方である。この事実を分かっているのは、数少ない一握りの人たちだけである。
Note:    His Majesty the Emperor (His Highness Naruhito during the time of the Crown Prince) has a deity and is made to be the spirit of the World Emperor. From the beginning, His Majesty the Emperor is the “Ajimarikan” (= kami) himself. Only a handful of people know this fact.

 だが、そういう「公のアジマリカン」を実践するには、従来のようなアプローチだけでは不足である。国家レベルや世界レベルの適切な人物に「アジマリカン」の実践方法と精神を伝えなければならないからだ。
 However, the conventional approach is not enough to put such “public Ajimarikan” into practice. This is because it is necessary to convey the practice method and spirit of “Ajimarikan” to the appropriate people at the national and world levels.

◆「公のアジマリカン」を普及するための最善の方法とは [What is the best way to popularize “public Ajimarikan”? ]
「公のアジマリカン」とは、国家や地球を神の世界にするための「アジマリカン」である。それを実践するには、ひと工夫もふた工夫も必要となる。
“Public Ajimarikan” is a “Ajimarikan” to make the nation and the earth into the world of Kami. In order to put it into practice, it is necessary to devise a bit of contrivance or more.

「一厘の仕組」とは一言で言えば、「人間や国家に神を注入すること」だ。最終的には世界のすべての国々に神を注入することになるのだが、一番最初に注入する対象が私達の国・日本である。
 In a nutshell, “The mechanism of Ichirin(=One bit)” is “injecting Kami into humans and nations”. Eventually, Kami will be injected into all the countries of the world, but the first target to be injected is our country, Japan.

 既に書いた通り、日本は「とどめの神の国」であるから、その事実に日本人が気付けばよいだけのことだ。拙著『日本建国の秘密 ヒボコ編/ヤコブ編』で私が訴えたかった結論とは、日本が世界の中心の神の国であることを日本人が気付くことだったのだ。
 As I have already written, Japan is a “land of the final Kami”, so all that the Japanese need to be aware of is that fact. The conclusion I wanted to appeal to in my book, “The Secret of the Founding of Japan, Hiboko Edition/ Jacob Edition” was that the Japanese realize that Japan was the center of the world.

 日本は最初から世界の中心の神の国として仕組されている。その事実を明確にするには、日本建国史を確定しなければならない。そのための前掲著である。私のこの認識は、実際に大神呪「アジマリカン」をえ続ける生活を続けながら、思惟を重ねた結果としてもたらされた。
 From the beginning, Japan has been organized as the kingdom of Kami in the center of the world. To clarify that fact, the history of Japan’s founding must be confirmed. This is the above-mentioned book for that purpose. This recognition of mine was brought about as a result of repeated thoughts while continuing to live my life that actually continued to chant the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 大神呪「アジマリカン」という言葉もそうだが、この世界には設計者がいる。ということは、日本国にも設計者がいるということになる。この設計者をここでは仮に「神」と呼ぶ。この仮定は証明対象であり、現時点では証明されてはいない(これから証明される)。
 私の中では次の等式が成り立っている。
 Like the word, the great Kami’s spell “Ajimarikan”, there is the Designer in this world. This means that there is the Designer of Japan nation as well. This designer is tentatively called “Kami” here. This assumption is subject to proof and has not been (will be) proved at this time.
 In me, the following equation stands up.

 ここで「チョン」とは「一厘=神」である。人に一厘の粒である神を入れれば「神人」となる。「一厘の仕組」とは極めて単純なお話なのである。この等式は日月神示から拝借したものだが、私は日月神示が語っているのはこれだけだと思う。だが、肝心なのは「チョン」とは何かということだ。どうやったら人や国家に「チョン=神」をインプットできるのか?
 Here, “Comma” is “Ichirin = Kami”. If you put Kami, which is a grain of one bit, into a person, you become a “kami man”. “The mechanism of Ichirin” is a very simple story. This equation was borrowed from Hitsuki-shinji, but I think this is all that Hitsuki-shinji speaks of. But the point is what is “Comma”. How can we input “Comma = Kami” to people and nations?

 私の信念としては、「人間は元来神である」というものだから、「アジマリカン」というコトバがチョンであると思っているのである。古神道のという考え方では、四魂(=、、、)の中心に一霊=(「直日」とも書く)が存在するとされる。そうすると、この直霊こそが人間の中心核=神であるという考え方になる。
 My belief is that “human beings are originally kamis”, so I think that the word “Ajimarikan” is Comma. In the idea of “one spirit and four souls” of Ko-Shinto, it is said that at the center of four souls (= Ara-mitama, Nigi-mitama, Kushi-mitama, Saki-mitama) one spirit = Naohi (= direct spirit) exists. Then, it becomes the idea that this Naohi is the core of human beings = the kami.

 最近ふと思ったのは、「アジマリカン」とは直霊なのではないかということだ。直霊とはで言うところの「本来の面目」=人間の中心核である。それこそが大神呪「アジマリカン」というコトバの実体であると思うのである。
 Recently, I suddenly thought that “Ajimarikan” is Naohi (= the direct spirit). The direct spirit is the “original face (= dignity)” which is the core of human beings, in Zen. I think that is the substance of Kotoba (= Logos) called the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 ここまで述べたところで分かったことがある。それは、各人が「アジマリカン」を唱える(または念ずる)しか、確認の方法は存在しないということだ。将来的に「神を測定する計測機器」が登場すれば話は簡単になるのだが、今のところは、各個人が「アジマリカン」を称えたり念じたりして、神を直接認識するという方法しか存在しない。
 What I have learned so far. That is, there is no way to confirm it unless each person recites (or prays) “Ajimarikan”. The story will be easier if “measuring instruments that measure Kami” appear in the future, but for now, the only way is for each individual to chant or think about “Ajimarikan” and recognize Kami directly.

 私がどんなに言葉を尽くして語ろうとも、論理的な証明は不可能である。物的証拠も文献的証拠も存在しない。また、「日本は最初から世界の中心の神の国として設計されている」という仮説も証明不可能である。直観するしかないのだ。
 No matter how hard I speak, no logical proof is possible. There is no physical or literature evidence. Moreover, the hypothesis that “Japan was designed from the beginning as the nation of Kami at the center of the world” cannot be proved. There is no way but to know instinctively.

第三章 アジマリカンの歴史的属性 [Chapter 3 Historical properties of Ajimarikan]

作成:2021年4月17日、最終更新:2022年9月29日
 
ヤコブと天使の格闘(ドラクロワ画)
ヤコブと天使の格闘(ドラクロワ画):向かって左側の天使は肉体を持った存在である [Jacob and the Angel Fight (Delacroix): The angel on the left is a physical being]

◆「アジマリカン」の最大の秘密=イスラエルとは [The biggest secret of “Ajimarikan” = What is Israel? ]

 佐藤博士が「アジマリカン」をヘブル語で解釈しようとされた背景には、アジマリカン最大の秘密=「イスラエルの霊」が横たわっていた。あいにく、博士の解釈は「世の罪を負う祭司長」という誤ったものであったが、方向性は合っていたのだ。その意味を、かいつまんで説明しよう。
 Behind Dr. Sato’s attempt to interpret “Ajimarikan” in Hebrew was the greatest secret of Ajimarikan, the “spirit of Israel”. Unfortunately, the doctor’s interpretation was wrong, “the chief priest who bears the sins of the world”, but he was in the right direction. Let’s briefly explain its meaning.

 私が数年前に『一輪の秘密』という作品(『アジマリカンの降臨』として出版)を執筆開始した頃、イスラエルに関連した神秘体験があった。その体験を「イスラエル体験」と命名したのだが、名前の通りイスラエルから歴史的な風が吹いてきた、というものだ。どうして「歴史的」と感じたのかについては、体験をした時には謎であった。とにかく「イスラエルの歴史」なる実体(=霊)が、風となって私の霊体の中に吹き込んできた。そのように感じたのである。
 When I started writing a work called “The Secret of a Wheel” (published as “The Advent of Ajimarikan”) a few years ago, I had a mystical experience related to Israel. The experience was named “Israel Experience”, and as the name suggests, a historical wind blew from Israel. Why I felt “historical” was a mystery when I experienced it. Anyway, the entity (= spirit) of “History of Israel” became a wind and blew into my spiritual body. I felt that way.

 その「イスラエル体験」の約2年後に、旧約聖書時代のヤコブの「神と闘って勝った」物語が関係しているように思えたのだ。自身の霊体験に関してそういう解釈をしたのは、筆者が若い頃に見た夢が関係していた。その夢の中では、私自身が神ならぬ異星人と相撲を取っていた。夢の中の異星人はウルトラマン風のボディスーツを着込んでおり、地球人ではないことが分かっていた。
 About two years after that “Israel experience,” it seemed to be related to Jacob’s “fighting and winning the God” story of the Old Testament era. That interpretation of his own spiritual experience was related to the dreams I had when I was young. In that dream, I myself was wrestling with a non-god alien. The alien in the dream wore an Ultraman-style bodysuit and was known not to be an Earthling.

 私は長時間異星人と相撲を取ったのであるが、勝敗が付かぬまま夢が覚めた。目覚めた時の私の気分は「私は異星人と相撲を取ったが負けた気がしない」というものだった。現在改めて思い起こしてみても、「随分突拍子もない夢を見たものだ」と思うし、当時は旧約聖書の知識がなかったので、解釈不可能という状態であった。
 I wrestled with an alien for a long time, but I woke up with a dream without winning or losing. When I woke up, my mood was, “I wrestled with an alien, but I don’t feel like I lost.” When I recall it now, I think that I had a dream that was quite crazy, and at that time I had no knowledge of the Old Testament, so it was in an uninterpretable state.

現在では旧約聖書の知識が多少入手できているので、連想によって、「イスラエルの歴史」と感じた霊的実体がヤコブの霊であったと関係付けることができる。ヤコブの別名がイスラエルであることを知識として知っているからである。
Now that I have some knowledge of the Old Testament, I can associate it with the spiritual entity that I felt as “the history of Israel” was the spirit of Jacob. Because I know that Jacob’s alias is Israel.

 当時の私は「消えたイスラエル十支族」という問題に強い興味を抱いており、漠然とではあるが、「彼らイスラエルは古代の日本にやってきたのではないか」という想像をしていた。その想像は最初は単なる思い込みだったが、「消えたイスラエル十支族」に関する著作は色々と発表されており、それらの作品を手当たり次第に読むことで、だんだんと事情が飲み込めてきた。イスラエル十支族が日本列島にやって来たという伝説は、今や既定事実に変わろうとしている。
 At that time, I was very interested in the issue of “the disappeared ten tribes of Israel”, and vaguely imagined that “they Israelites might have come to ancient Japan”. The imagination was just a belief at first, but various books on “The Ten Lost Tribes of Israel” have been published, and by reading those works randomly, the situation gradually swallowed up. The legend that the Ten Lost Tribes of Israel have arrived in the Japanese archipelago is now about to turn into a default fact.

 以下に示すのは「ユダヤ人埴輪」であるが、どう見ても古代ユダヤ人に見える埴輪が残されているのだ。これは「言われてみればやっぱりそうだった」という好例ではなかろうか。本頁画像内の二体の埴輪が、生粋の日本列島人の姿を写したものでないことは明白である。彼らこそが後に秦氏と呼ばれるようになった古代ユダヤの民であるという蓋然性が高まるのである。「ユダヤ人埴輪」とは、言った者勝ちの命名である。最初に言った田中英道氏は偉かったと思う(補足:田中氏の日本古代史観は「何でも東国から来た」という偏ったもので、採用できないということを補足しておきたい。日本古代史観は歴史作家の関裕二氏によるものが一番正解に近いと思っている)。
 The following is a “Jewish haniwa”, but there are still haniwa that look like ancient Jews. Isn’t this a good sample that “after all it was so when I was told”. It is clear that the two haniwa in the image on this page are not a copy of the genuine Japanese archipelago humans. It is more likely that they are the ancient Jewish people who later became known as the Hata clan. “Jewish Haniwa” is an expression of first-come-first-served basis. I think Mr. Hidemichi Tanaka, who said at the beginning, was great (Supplement: Mr. Tanaka’s view of ancient Japanese history is biased as “everything came from the eastern country in Japan”, so I would like to say that it cannot be adopted. I think the one by the writer Yuji Seki is the closest to the correct answer).

ユダヤ人埴輪
ユダヤ人埴輪(『発見!ユダヤ人埴輪の謎を解く』田中英道、勉誠出版、2019年) [Jewish haniwa (“Discovery! Solving the mystery of Jewish haniwa” Hidemichi Tanaka, Bensei Publishing, 2019)]

 同時に旧約聖書も触りだけを読んで、自分の「異星人と相撲を取った夢」の意味も分かってきた。その夢の意味とは、次の通りである。
 At the same time, I read only the touch of the Old Testament and understood the meaning of my “dream of sumo wrestling with aliens”. The meaning of the dream is as follows.

「自分(=斎藤)が旧約聖書のヤコブとして生き、異星人と実際に相撲を取って負けなかったことによって、異星人からイスラエルの名を勝ち取った」
“I (= Saito) lived as Jacob in the Old Testament and won the name of Israel from the aliens because he did not lose by actually sumo wrestling with the aliens.”

 さらに、私が「イスラエルの歴史」だと思った霊的な風の意味も分かってきた。これは「ヤコブ=イスラエルの霊が日本列島に吹き込んだ」という意味になる。ヤコブはイスラエルの歴史を背負っているから、歴史的実体として感じられたのだ。だが、どうしてヤコブ=イスラエルの霊は日本列島に来なければならなかったのだろうか?
 In addition, I have come to understand the meaning of the spiritual wind that I thought was “History of Israel.” This means that “the spirit of Jacob=Israel has blown into the Japanese archipelago”. Since Jacob carries the history of Israel, it was felt as a historical entity. But why did the spirit of Jacob=Israel have to come to the Japanese archipelago?

【外なるイスラエルと内なるイスラエル [Outer Israel and Inner Israel]】

 ヤコブ=イスラエルには巨大な秘密があって、その秘密を一身に担っていたのが他ならぬ斎藤という人間だった。この話は拙著『日本建国の秘密 ヤコブ編』のメインテーマなのだ。実を言えば私・斎藤が旧約聖書のヤコブだったという話なのである。こういう話は出版界のタブーだと聞いたことがある。私から言わせれば、そういうタブーなどクソ喰らえである。
 Jacob = Israel had a huge secret, and it was none other than Saito who was responsible for that secret. This story is the main theme of my book, “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition”. To tell the truth, it is a story that I, Saito, was Jacob of the Old Testament. I’ve heard that these stories are taboo in the publishing world. From my point of view, such taboos are shit.

 ヤコブ(=私)はイスラエル十支族を日本列島に導いた当人なのである。イスラエルの主立った支族を霊的に導いて、極東の日本列島への連れてきたのだ。これは物証や文献的証拠はないが、もし本当だったら極めて面白い話である。だが、この話は単なる自画自賛ではない。物語としての整合性があって、ひょっとしたらと思わせる要素が多いのだ。
 Jacob (= I) is the person who led the ten tribes of Israel to the Japanese archipelago. I spiritually led the main tribes of Israel and brought them to the Japanese archipelago in the Far East. There is no physical evidence or literature evidence, but if true, it would be a very interesting story. However, this story is not just self-praise. It is consistent as a story, and there are many elements that make us think so.

 現在のイスラエル国には神がいない。イスラエルの神はヤコブと一緒に日本列島に移動してしまったので、中東のイスラエル国は神の目から見れば抜け殻のようなものだ。そこには良いものが残されていないので始末に負えない。残っているのは怨念と争いのタネだけである。
 There is no god in present-day Israel. Since the god of Israel has moved to the Japanese archipelago with Jacob, Israel in the Middle East is like a vacant shell in the eyes of God. There is nothing good left there, so we can’t handle it. All that remains is grudges and the seeds of conflicts.

 そもそも、イスラエルの実体は日本列島に溶け込んでしまっており、日本の内なるイスラエルとなっている。内なるイスラエルの特徴は「神への指向性」であり、日本建国時に天皇の存在という形で結実したのだ。今や日本こそが真の意味でのイスラエルなのであるから、聖書の民は中東の外なるイスラエルではなく、真のイスラエル=日本に帰還すべきなのである。
 In the first place, the substance of Israel has blended into the Japanese archipelago and has become Japan’s inner Israel. The characteristic of Israel inside is “direction toward God”, and it came to fruition in the form of the existence of the Emperor when Japan was founded. Since Japan is now true Israel, the people of the Bible should return to true Israel = Japan, not to outer Israel in the Middle East.

 拙著『アジマリカンの降臨』と『日本建国の秘密 ヤコブ編』を読めば、イスラエルの真実が分かるだろう。今やイスラエルとは日本のことなのである。
 You can find out the truth about Israel by reading my books, “The Advent of Ajimarikan” and “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition”. Israel is now Japan.

◆アジマリカンが天降った人・時・所 [The person, time, and place where Ajimarikan descended from heaven]

 私は佐藤博士の『日本とはどんな国』を読んで、「アジマリカンという言葉をえなければ何も始まらない」と思った。だから、すぐに「アジマリカン」を念じたのだ。すると本当に神が降りてきた。そこから、還暦過ぎに開始された私の執筆活動は、「アジマリカン」を中心に据えるということで、方針が定まった。
 I read Dr. Sato’s “What kind of country is Japan?”, and thought, “If you don’t chant the word Ajimarikan, nothing will start”. That’s why I immediately thought of “Ajimarikan”. Then Kami really came down. From there, my writing activity, which started after the 60th birthday, was decided to focus on “Ajimarikan”.

 このように、私の公的活動は「アジマリカン」の一念から開始されたのであり、それ以外のものではない。私が伝えようとしている中心内容は「アジマリカンを唱えれば神になる」ということであり、執筆や講演等のすべての活動の原点は「アジマリカン」なのである。
 In this way, my public activities started from the ardent with of “Ajimarikan”, and nothing else. The central content I am trying to convey is that “If you chant Ajimarikan, you will become a god”, and the origin of all activities such as writing, and lectures is “Ajimarikan”.

 私は最近『日本建国の秘密』という、二冊で一組の作品を出版した。それは、「アジマリカン」なる言葉が日本建国に密接に関わるコトタマであるという事情によるものだ。つまり、日本建国という出来事を解明すれば、「アジマリカン」という言葉(=とどめの神)が生まれた「人時所」が特定されるという結果を生む。人時所は以下の通りである。
 I recently published a set of two books called “The Secret of the Founding of Japan”. This is due to the fact that the word “Ajimarikan” is a kototama closely related to the founding of Japan. In other words, if the event of the founding of Japan is clarified, the result is that the “human time place” where the word “Ajimarikan” (= the god of the end) was born is identified. The man-hours are as follows.

人:アメノヒボコ(別名はツヌガアラシト、武内宿禰、タラシヒコ、住吉大神、等々多数あり。関裕二史観より明らか)
時:日本建国直前(西暦200年頃)
所:敦賀(=氣比神宮の土公で、当時は氣比の浦と呼ばれた)
Human: Amenohiboko (also known as Tsunuga-arashito, Takenouchi-no-sukune, Tarashihiko, Sumiyoshi-no-okami, etc., clearly from Yuji Seki’s view of history)
Time: Immediately before the founding of Japan (around 200 AD)
Place: Tsuruga (= Kehi jingu Shrine, which was called Kehi no ura at that time)

 とどめの神は、歴史上初めて、氣比神宮・土公の地に顕現したのだ。「アジマリカン」の響きに乗って働かれる神こそが「とどめの神」だったのである。
 For the first time in history, the final Kami(= God) appeared in the land of Kehi Jingu Shrine. The kami who works with the sound of “Ajimarikan” was the “final Kami (= God)”.

◆イスラエルではなく日本こそが中心 [Japan is the center, not Israel ]

 日本建国という事象は、とどめの神「アジマリカン」が顕現したという出来事である。特に留意していただきたいのは、「イスラエル(=ユダヤ)ではなく日本」という事実である。そもそも、ヤコブ=イスラエルは霊として日本に流入したのだ。一つの霊的実体が、ヤコブ、アメノヒボコ、私として生まれ変わっているのだ(どなたか私の前世を読んでください)。日本建国時にイスラエルが縄文日本に合体した。式で表わせば「日本列島(縄文文明)+イスラエル=日本国」である。
 The event of the founding of Japan is the manifestation of the final Kami (= God) “Ajimarikan”. What I would like you to pay particular attention to is the fact that “Japan, not Israel (= Jewish)”. In the first place, Jacob=Israel flowed into Japan as a spiritual entity. One spiritual entity has been reborn as Jacob, Amenohiboko, and me (Please read my previous lives if anyone can). Israel merged with Jomon Japan when Japan was founded. Expressed in a formula, it is “Japanese archipelago (Jomon civilization) + Israel = Japan”.

 現時点ではそういうことは証明不可能だが、物語としての筋は通っている。拙著『日本建国の秘密 ヤコブ編』とは、そういう物語なのだ。私の「イスラエル体験」には、霊の生まれ変わり(=輪廻転生)という背景があったのである(普通に考えればかなり危ない話なのだが、当たり前の出来事のように語っている)。
 That’s unprovable at this point, but it makes sense as a story. My book, “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition” is such a story. My “Israel experience” had a background of spiritual reincarnation (although it is a rather questionable story if you think about it normally, it is said as a matter of course).

 どうしてヤコブ(=イスラエル)は極東に生まれ変わってくる必要があったのか?
 Why did Jacob (= Israel) need to be reborn in the Far East?

 これは聖書の神を否定するためである。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地はエルサレムに存在するが、実は、その地は聖地などではないのだ。宗教どうし、民族どうしが果てしない争いを続けているエルサレムを聖地と呼ぶのは当事者の自由である。だが、私から見れば、現在のエルサレムは最悪の地(The Worst Place)でしかない。本当の聖地は日本にあるのだ。これは、斎藤以外の誰からも認識されていない事実なのだが、本当の聖地とは敦賀市氣比神宮の土公なのだ。氣比神宮の土公は聖地=地球の中心なのである。
 This is to deny the Bible God. The sacred sites of Judaism, Christianity, and Islam exist in Jerusalem, but in reality they are not sacred sites. It is up to the parties to call Jerusalem a sacred place, where religions and ethnic groups continue to fight endlessly, but from my point of view, Jerusalem today is only the worst place. The true sanctuary is in Japan. This is a fact that is not recognized by anyone except Saito, but the true sacred place is the Doko at Kehi Jingu Shrine, Tsuruga City. Doko at Kehi Jingu Shrine is a sacred place = the center of the earth.

 氣比神宮のホームページでは、土公について以下のように説明している。
 The homepage of Kehi Jingu Shrine  explains Doko as follows.。

ツヌガアラシト像(敦賀駅前) [Statue of Tsunuga-arashito (in front of Tsuruga station) ]
氣比神宮の土公
氣比神宮の土公:アジマリカン(=日本国)発祥の地であり、世界の中心である [Doko of Kehi Jingu Shrine: The birthplace of Ajimarikan (= Japan nation) and the center of the earth]

土公(どこう) [Doko]

 氣比神宮境内全域11,253坪(37,200㎡)。の方角、神宮北東部に残る「土公」は氣比大神降臨の地とされ当神宮鎮座にかかる聖地である。社殿家屋建立の時、「この土砂を其の地に撒けば悪しき神の祟りなし」と信ぜられる伝説と神秘に富む神代の述霊じゅつれい(ママ。意味不明)。古い時代における多くの祭祀の形態はと呼ばれ、大きな岩を中心とした山での祭祀、大木を中心とした森での祭祀など自然の形を損なうことなく祭祀が営まれた。
 The entire area of Kehi Jingu Shrine is 11,253 tsubo (=37,200㎡). The “Doko” that remains in the northeastern part of the Jingu in the direction of Tezutsu Yama Mt., when the shrine house was built, the legend and mysterious description of the spirits (the meaning unknown) is believed to be “If you sprinkle this earth and sand on the ground, there is no curse of the evil kami”. Many forms of rituals in the old days are called himorogi iwasaka, rituals in the mountain centered on large rocks, and rituals in the forest centered on large trees. The rituals were held without damaging the shape of nature.

 仏教伝来による寺院建築の影響もあり、奈良時代から現代のような社殿を建て祭祀を行うように変化した。当神宮創祀は二千年以上の神代に遡り、当初は現在の土公の地で祭神を祀ったと云うが、大宝2年(702年)朝廷御関係の神々を合祀、現在のような社殿の元が建立され祭祀がなされた。御社殿建立後も土公は当神宮の古殿地として手厚く護られ、平安時代の名僧伝教大師最澄、弘法大師空海は当大神に求法の祈誓をかけこの土公前で7日7夜の大行を修したと伝えられる。
 Due to the influence of Buddhist temple architecture by introduction of Buddhism, it changed from the Nara period to building a modern shrine and performing rituals. It is said that the Jingu Shrine dates back to the era for more than 2,000 years, and initially enshrined the deities in the present “Doko” place, but in the 2nd year of Taiho (702), the kamis (=gods) related to the imperial court were enshrined and the shrine as it is today. The origin of the shrine was erected and a ritual was held. Even after the construction of the shrine, it was well protected as the ancient ground of the shrine. And Saicho, the famous priest of the Heian period, and Kobo Daishi Kukai prayed to our kami(= god) to seek Dharma (= the teachings of Buddhism), in front of this Doko, 7 days and 7 nights. It is reported that they have done big prayers and austerities.

 上記引用文中の「氣比大神」とは、その地で土公祭祀を行った都怒我阿羅斯等つぬがあらしと(通称アメノヒボコ)本人を意味している。「アジマリカン」のコトタマは土公の地でツヌガアラシトに天降ったのである。氣比神宮・土公こそが日本建国の地として顕彰されるべきであり、その地に「アジマリカン」のコトタマが天降ったのである。直観が多過ぎると言われそうだが、この認識は私の直観であり、動かすことはできないのである。
 In the above quote, “Kehi Okami” is Tsunuga-arashito (commonly known as Amenohiboko) the person himself who did the Doko ritual. The Kototama of “Ajimarikan” fell on Tsunuga-arashito in the land of Doko. Kehi Jingu Shrine Doko should be honored as the place where Japan was founded, and the kototama of “Ajimarikan” fell on that place. It may be said that there is too much intuition, but this perception is my intuition and cannot be moved.

 次に問題となるのは、日本建国と世界史の関係である。現在という時点から遡って考えることによって、初めて日本建国が世界史の上で占める位置というものが見えてくる。
 どうして、日本建国から世界史まで見通さなければならないのか。それには次のような明確な理由が存在する。
 The next issue is the relationship between the founding of Japan and world history. By thinking back from the present time, we can see for the first time the position that Japan’s founding occupies in world history.
 Why do we have to look from the founding of Japan to world history? There are clear reasons for this:

 大神呪「アジマリカン」=「とどめの神」は、地球世界全体を救うコトタマだからだ。「『アジマリカン』は『とどめの神』のコトタマ」だという仮説から、私論は始まっている。だから、世界史も考慮に入れなければならないのである。とどめの神は大神呪「アジマリカン」の響きに乗ってお働きになる。大本の出口王仁三郎師は『霊界物語』の「第三五章 一輪の秘密」で、「いずれも世界の終末に際し、世界改造のため大神の御使用になるのである。しかして之を使用さるる御神業がすなはち一輪の秘密である」と語る。大神とは国常立尊(=地球神)を意味している。「珍の御宝」が一体どういうものなのかはよく分からないし、神宝は三個存在するようである。そのうちのひとつが大神呪「アジマリカン」であると先ずは考えた。
 This is because the great Kami’s spell “Ajimarikan” = “the final Kami (= God)” is a kototama that saves the entire earth. My theory begins with the hypothesis that “Ajimarikan” is the kototama of “the final Kami (= God)”. Therefore, world history must also be taken into consideration. The final Kami (= God) works by riding the sound of the great Kami’s spell “Ajimarikan”. Onisaburo Deguchi of Omoto wrote in “Chapter 35: The Secret of a Wheel” in “The Story of the Spiritual World”, “I saw a rare treasure (Uzu-no-mitakara) used by Okami to remodel the world at the end of the world. The secret of the gods who use it is the secret of one wheel. Okami means “Kunitokotachi-no-mikoto (= earth god). I’m not sure what the “Uzu-no-mitakara” is, and it seems that there are three sacred treasures. First of all, I thought that one of them was the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 ここで、アジマリカン奉唱時のエネルギー場には、陽・陰の渦巻きが描かれていたことを思い出していただきたい。つまり、珍の御宝とは渦の御宝である。アジマリカンのエネルギーが渦巻くことによって、世界改造が行われる。実際のところ、珍の御宝とは大神呪「アジマリカン」一つだけであると考え直した。「アジマリカン」には浄化の働きと創造の働きが備わっており、オールマイティだからだ。世界改造に必要な一切のエネルギーが大神呪「アジマリカン」より発現すると考えられるからである。
 Recall that the energy field at the time of the Ajimarikan chanting had a positive and negative vortex winding. In other words, Uzu-no-mitakara is a vortex treasure. The world is remodeled by the swirling energy of Ajimarikan. As a matter of fact, I reconsidered that the only Uzu-no-mitakara was the great Kami’s spell “Ajimarikan”. This is because “Ajimarikan” has a purifying function and a creative function, is almighty. This is because it is thought that all the energy required for world remodeling will be expressed by the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 次に世界改造の結果として、どういう世界がもたらされるのかを検討しよう。
 Next, let us consider what kind of world will be brought about as a result of world remodeling.

◆世界史上の日本建国の意味 [Meaning of the founding of Japan in world history]

「『アジマリカン』がとどめの神である」という仮説から、世界史における日本建国の意味が判明する。
 From the hypothesis that “‘Ajimarikan’ is the final Kami”, the meaning of the founding of Japan in world history becomes clear.

 この仮説より、日本国は神の国であり、世界の中心となる国であることが導き出される。なぜなら、「アジマリカン=とどめの神=最高神=中心の神」だからである。中心の神が降臨した国こそが日本国なので、日本国は自ずから世界の中心の国であるという認識が導き出されるのである。これは論理の遊びではなく、神の世界の事実である。
 From this hypothesis, it can be derived that Japan is the kingdom of Kami (= God) and the center of the world. This is because “Ajimarikan = the final Kami = the highest Kami = the central Kami”. Since Japan is the country where the central kami descended, the recognition that Japan is the central country of the world is naturally derived. This is not a play of logic, but a fact of the world of Kami.

日本は世界の雛形(概念図) [Japan is a model of the world (conceptual diagram) ]

 大神呪「アジマリカン」が降臨した日本国は、最高神の国なのである。とどめの神は見えないので、とどめの神が中心かどうかの判定は直感に従えばよい。最高神の国である日本が、周辺の一国であるはずがない。中心が形に表われる時は、日本列島という島国がその国となるのだ。前図は世界の雛形としての日本列島を示すものだが、最初に気が付いた人(竹内文書の編纂者が最初らしいが、詳細は不明である)はエライ。とにかく地球はそのようにデザインされているというのが、私の直観である(また出た「直観」)。
 Japan, where the great Kami’s spell “Ajimarikan” has descended, is the country of the highest kami. Since the final Kami cannot be seen, it is only necessary to follow intuition to determine whether the final Kami is the center. Japan, the country of the highest Kami, cannot be a neighboring country. When the center appears in shape, the island nation of the Japanese archipelago becomes that country. The previous figure shows the Japanese archipelago as a model of the world, but the first person to notice (The editor of the Takenouchi document seems to be the first, but the details are unknown) is great. Anyway, my intuition is that the earth is designed that way (again, the “intuition” that came out).

 最高神は宇宙に遍満する神であるから、あらゆるところに存在する。だが、最高神が国として形を取れば、具体的な一つの場所(=国)になるしかない。その国が日本である、という意味になる。この「日本は世界の中心国」という命題も、世界地図を見ただけでは分からない。感覚的に言えば、どうして日本が世界の中心なのか分かりづらい。だが、霊的に見れば、日本は世界の中心国として設計されているのである。「霊的に見れば」の意味は、地球という惑星にも国々の配置に関する設計理念が存在するということなのだ。この設計理念は神の世界に存在しているもので、直観によって認識される。
 The Supreme Kami is Kami that pervades the universe, so it exists everywhere. However, if the Supreme Kami takes the form of a country, there is no choice but to become a concrete place (= country). It means that the country is Japan. The proposition “Japan is the center of the world” cannot be understood just by looking at the world map. Speaking sensuously, it’s hard to understand why Japan is the center of the world. However, spiritually, Japan is designed as the center of the world. The meaning of “from a spiritual point of view” is that the planet Earth also has a design philosophy regarding the arrangement of countries. This design philosophy exists in the world of Kami and is recognized by intuition.

「設計理念」という言葉は、私がシステムエンジニアであるからこその表現である。大神呪「アジマリカン」の音感解析結果からも分かるように、偉大なる設計者=見えざる神が、日本国も日本語も「アジマリカン」も地球世界もデザインされたのである。日本建国という出来事を研究していると、神の見えざる手によって導かれたという実感が、日増しに強くなってくる。考えれば考えるほど、日本という国が、地球世界の中心として発祥した国であると実感されるのである。
 The word “design philosophy” is an expression because I am a system engineer. As you can see from the sound analysis results of the great Kami’s spell “Ajimarikan”, the great designer = the invisible kami designed Japan, Japanese, “Ajimarikan”, and the whole earth. As I study the event of the founding of Japan, the feeling that it was guided by the invisible hand of Kami becomes stronger day by day. The more I think about it, the more I realize that Japan is the country that originated as the center of the global world.

 渦の御宝「アジマリカン」は、日本建国時に天降った神宝である。大神が渦の御宝を使って世界を改造するというのは、「世界の中心国・日本におられる一人の天皇(=世界天皇)が全地上を治められる」という意味になる。これも私の直観である。一厘の仕組のゴールは、「地球全体が日本になる」という結果として現われる。
 The vortex treasure “Ajimarikan” is a sacred treasure that fell when Japan was founded. The fact that Okami remodels the world using the vortex treasure means that one emperor (= world emperor) in Japan, the center of the world, can rule the whole earth. This is also my intuition. The goal of the mechanism of Ichirin (= One bit) is to appear as a result of “the whole earth becomes Japan”.

 これは、そのようにしかならないのである。やがて、人類がそういう世界を希求することが目に見えているからだ。世界が一人の王=世界天皇によって丸く治められるようにならない限り、世界に平和はもたらされない。これは極めて簡単な人類の未来図であるが、人類もそういう簡単なことが分かるだけの経験を積んできたのではないか。一厘の仕組とは、人類が争いに満ちた歴史から何かを学んで、「みんなお隣さんだから仲良くしよう」と思い直し、実際に仲良くなるまでの物語である。そのための最終兵器こそが大神呪「アジマリカン」である、というのが私の考えである。
 This is the only way to do it. Eventually, it is obvious that humankind will seek such a world. Peace will not be brought to the world unless the world is ruled roundly by one Emperor = the world Emperor. This is an extremely simple future map of humankind, but I think humankind has gained enough experience to understand such simple things. The mechanism of Ichirin(=One bit) is a story of human beings learning something from a conflict-filled history, rethinking that “everyone is a neighbor, so let’s get along” and actually get along. My idea is that the ultimate weapon for that purpose is the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 人類が総体として仲良くしようと本気で願うようになるまでには、今しばらくの時間が必要である。その間、渦の御宝「アジマリカン」は世界を浄化し続けるのである。
 It will take some time before humankind as a whole really wants to get along with each other. Meanwhile, the vortex treasure “Ajimarikan” continues to purify the world.

第二章 アジマリカンの言霊的属性 [Chapter 2 Kototama properties of Ajimarikan]


◆アジマリカン=願いを叶える言葉 [Ajimarikan = the word that grant your wishes]

 アジマリカンを唱えれば「願いが叶う」というのが、基本的な性質である。これは、アジマリカンという音が創造エネルギーそのものであるというところに由来する。後述する「結び」の働きや「造化三神の音声的表現」のところで詳しく説明するが、とにかくどんな願いでも叶えられるという性質がある。
 The basic property of Ajimarikan is that if you chant Ajimarikan, your wish will come true. This comes from the fact that the sound of Ajimarikan is the creative energy itself. I will explain in detail in the section on the function of “Musubi” and “phonetic manifestation of the three gods of creation” described later, but anyway, it has the property that any wish can be fulfilled.

 私の思想的な傾向から「アジマリカン=神」という論理を導き出してはいるが、それとは関係なく「アジマリカン=創造エネルギー」なので、アジマリカンを唱えながら想像(思念)したことが現実化する。だから、アジマリカンを唱えた人の立場で、以下のように望ましいことが起きてくるのだ。
 I have derived the logic of “Ajimarikan = God” from my ideological tendency, but regardless of that, “Ajimarikan = creative energy”, so what I imagined (thought) while chanting Ajimarikan becomes a reality. Therefore, from the standpoint of the person who chanted Ajimarikan, the following desirable things happen.

・自動車を運転している時、道路が混雑していて間に合いそうもないのに間に合った。
・欲しいものがあってお金がない時に、必要なだけのお金が入ってきた。
・曇っている時にベランダに出ると、いつも晴れる。
・職場に嫌な人がいて辛い時に、新しい仕事が入って楽しい職場になった。
・リンゴが食べたくなった時に、友達がリンゴを持って遊びに来た。
・長年苦しんでいた持病が治った。
・日常生活で何でも調子よく事が運ぶ。
・ When driving a car in time the traffic is so busy to be not in time, but arrived in time.
・ When wanting an item and not having the money, I got as much money as I needed.
・ When going out to the balcony when it’s cloudy, it always become sunny.
・ When having a hard time at work with people I didn’t like, got a new job and it became a fun place to work.
・ When wanting to eat an apple, my friend came to play with it.
・ The chronic illness that I had been suffering from for many years has been cured.
・ Everything goes well in daily life.

◆アジマリカン=そのものズバリの神 [Ajimarikan = the decisive Kami]

 前章で、私のアジマリカン体験で感じたものを「そのものズバリの神」と表現したが、これは皮膚感覚で感じた波動を「神だ!」と思っていたからだ。これは私の直観であるが、従来感じることができなかった何らかの存在を、私は無条件で「神」と呼んだ。だが、私のその認識は果たして正しいかどうかが肝心である。自分でそれを勝手に「神」と呼んでいるだけで、その正体が実は悪霊だったりしたら笑えない体験だということになる。
 In the previous chapter, I described what I felt in my experience with Ajimarikan as “the decisive kami” because I thought that the vibration I felt with skin sensation was “Kami!”. This is my intuition, but I unconditionally called “Kami” something that I couldn’t feel before. However, it is important that my perception is correct. Just calling it “Kami” by myself means that if the true character is actually a demon, it will be an experience that I cannot laugh at.

 そこで必要となるのは、その「神」が本物かどうか、真正な存在かどうかを確認することだ。この種の神秘体験において必要なのは、(=降りてきた霊存在の正体を見極めること)である。私のように、自身の神秘体験をあからさまに語る著作は意外に少ない。だから、「斎藤という男が『自分に神が降りた』などと突拍子もないことを言っている」と感じる読者が出てくることは避けられない。
 Therefore, it is necessary to confirm whether the “Kami” is genuine or not. What is needed in this kind of mystical experience is Saniwa (= identifying the identity of the spiritual beings that have descended). Unexpectedly few books, like me, openly talk about mystical experiences. Therefore, it is inevitable that some readers will feel that “a man named Saito is saying something like <Kami has come down to me>”.

 事実、そういうことが起きてしまった。拙著『すべてがひっくり返る』(ヒカルランド、2018年)という作品が、普通の出版社(ヒカルランド)から販売された時に、Amazonの該当ホームページにそういうコメントが付いてしまい、ちょっと焦ったことがある。「ひどい内容だ。出版社はサニワしないのか?」というものだ。作品の中のどこが悪いのかという具体的な指摘がなくて、ただ拙著を非難するコメントである。
 In fact, that has happened. When my book “Everything Turns Upside Down” was sold by an ordinary publisher (Hikaru Land, 2018), I was a little impatient with such a comment on the corresponding Amazon homepage. “It’s terrible. Doesn’t the publisher saniwa?” There is no specific indication of what is wrong with the work, and it is just a comment that blames my work.

 こういう読者はどこにでもいるようだ。すべての読者の気に入るような本を書くことは至難の業であり、事実上は不可能だ。筆者のような新人(いい年だが)が作品を公に出版する時は常に、内容を批判されるという覚悟が必要だという痛い事例となった。
 Such readers seem to be everywhere. Writing a book that all readers will love is a herculean task, and in effect impossible. Whenever a newcomer (but in old age) like me to publish works publicly, it was a painful case that I had to be prepared to be criticized for the content.

 私が自身の体験を明らかにするのは審神(さにわ)を期待しているからである。知人にプロ級の審神がいれば、間違いの少ない作品を世に問うこともある程度は可能だろう。だが、私のように技術者として何十年も働いてきた人間には、霊能者の知人がいないし、出版関係の知り合いもいない。だから、本を出す前に審神することは不可能に近い。
 I reveal my experience because I expect saniwa (= to be judged what god descended on me). If I have an acquaintance who is a professional grade saniwa, it will be possible to publish works with few mistakes. But a person like me who has worked as an engineer for decades has no psychic acquaintances and no publishing acquaintances. Therefore, it is almost impossible to judge before publishing a book.

 ここからが本題である。私が「神だ!」と認識した存在が真正のものかどうかを見極めなければならない。実際のところ、「アジマリカン」を念じた結果として、一体何モノが降臨したのであろうか?
「アジマリカン」で降臨する神の正体こそが、大いなる問題である。
 This is the main subject. We must determine if the existence that I perceive as “God!” is genuine. As a matter of fact, what kind of thing has come down as a result of praying “Ajimarikan”?
 The true identity of the kami who descends in “Ajimarikan” chanting is a big problem.

◆アジマリカン=とどめの神のコトタマ [Ajimarikan = The kototama of the Final Kami]

 前述の「出版社はサニワしないのか?」というコメントに対して、本論で反論しておこう。コメント者の本音を推察すると、「なんだか気に食わない」ということだろう。つまり「斎藤というヤツは嫌いだ」と言っていることになる。嫌いな理由を書くのも面倒だったのだろうと思う。だが、敢えてその理由を言っていただけるとありがたい(嬉しくはないが)。あるいは、その方自身が私を審神して、その結果を書けばよい。ない物ねだりではあるが……。
 Let’s refute the above-mentioned comment in this paper “why doesn’t the publisher saniwa?”. Guessing the true intentions of the commenters, it seems that they don’t like me. In other words, he says, “I don’t like the guy named Saito”. I think he was troublesome to write down the reason he disliked me. But I would appreciate it if he dared to tell me why (although I’m not happy). Alternatively, he himself can judge me and write the result. It’s something I don’t have, but …

 ここでハッキリさせたい論点は「アジマリカンの正体」である。その正体が決定されれば、筆者の正体も明確になると思うのである。拙著『すべてがひっくり返る』では、アジマリカンのことを「とどめの神のコトタマ」であると結論している。とどめの神の定義であるが、最後の最後にとどめを刺す神=最高神である、と言っている。そして結果的に「一切の宗教にとどめを刺す」、すなわち、「一切の宗教は役目を果たしてなくなる」ということも語っている。
 The issue I want to clarify here is “the true identity of Ajimarikan”. If the identity is decided, I think the identity of me (= Saito) will be clear. In my book “Everything Turns Upside Down”, I concluded that Ajimarikan is “the kototama (= spirit of Japanese) of the final Kami”. I defined the final Kami the “the Kami who finishes off all religions at the very end”. And I also said that “as a result, all religions will be disappeared after carrying out their role”.

 その意味では、斎藤は「とどめの神」を世の中に広める「とどめの神の伝達者」だということになる。「とどめの神が斎藤に降臨した」というところが、Amazonで拙著にコメントをつけた人物が引っかかったところではなかろうか。おまけに、精神世界分野では、今でも人気の高い出口王仁三郎師を「最後までとどめの神が降りなかった」人物としている。同著で特に王仁三郎師を批判しているつもりはない。だが、とどめの神を体現しなかったという私見を述べている。その辺りも引っかかるところかも知れない。出口王仁三郎師には「アジマリカン」というとどめの神が降りなかったので、論理的帰結として師は最後の救世主ではないということになる。師の信奉者であれば、ムッとする可能性はある。
 In that sense, Saito is “the messenger of the final Kami” who spreads “the final Kami” to the world. Apparently, the claim “the final god has descended to Saito” was caught by the person who commented on my book on Amazon. In addition, in the spiritual world, Rev. Onisaburo Deguchi, who is still popular, is regarded as the person to whom “the final Kami has not descended”. I do not intend to criticize Rev. Onisaburo Deguchi in the same book. However, I have stated my personal opinion that he did not embody the final Kami. He may be caught in that area as well. Master Onisaburo Deguchi did not have the final Kami, “Ajimarikan”, so the logical consequence is that he is not the last savior. If he is a follower of master Onisaburo, he could be bad-tempered.

 そのようなことが、読者の「サニワしないのか?」コメントに繋がっているのではなかろうか。作者としては「そういう言いにくいことを言って欲しかった」と思うのだが、具体的な指摘が全くないので反論もできない。そういう反論できないコメントを付ける読者は卑怯である。「言いたいヤツには言わせておけばよい」という気持ちもあるのだが、何ともスッキリしないコメントだったので、困惑したのである。「人の本に意見を言いたいなら、『サニワ』などという言葉を使わずに具体的に指摘せよ」と言っておこう。
 That may have led to the reader’s comment, “Why doesn’t the publisher saniwa?”. As the author, I think “I wanted him to say such a difficult thing to say”, but I can’t argue because there is no specific point. Readers who make such irrefutable comments are cowardly. There is a feeling that “I should let the person who wants to say it”, but I was confused because the comment was not clear at all. Let’s say, “If you want to give an opinion to other person’s book, point it out concretely without using word such as “saniwa”.

◆アジマリカン=天皇行法を構成する行法 [Ajimarikan = the ascetic practice that constitutes the Emperor’s ascetic trainings]

 私の「アジマリカン体験」とは、神の体験に他ならない。それまで誰も「アジマリカン」という言葉の意味を解いた人物は出てきていなかったのだ。だが、山蔭神道という古神道の一団体では、事ある毎に大神呪「アジマリカン」をえるという。「アジマリカン」は秘密のヴェールの奥に隠されていた言葉なのだ。
 My “Ajimarikan experience” is nothing but the experience of God(=Kami). Until then, no one had understood the meaning of the word “Ajimarikan”. However, it is said that a group of Ko-Shinto called Yamakage Shinto praises the great Kami Spell “Ajimarikan” every time. “Ajimarikan” is a word hidden behind a secret veil.

 山蔭神道の前管長・山蔭基央師(故人)が、その著作『古神道の生き方―【古神道の思考と実践】』の中で「大神呪『アジマリカン』を唱えよ」と語っていることが、「アジマリカン」の正体が真正のものであることをしている。
 Motohisa Yamakage (deceased), the former president of Yamakage Shinto, said “pray Ajimarikan” in his book “The Way of Life of Ko- Shinto– [Thoughts and Practices of Ko- Shinto]” , proves that the identity of “Ajimarikan” is genuine.

「アジマリカン」の表記には片仮名と平仮名の二種類があるが、特別な意味合いはない。見た目のことをいえば、「あじまりかん」の方が柔らかい感じがするが、発声(または発念)すれば全く同じであるから、仮名の種類については神経質にならなくてもよい。本文中では「アジマリカン」で統一する。
 There are two types of “Ajimarikan” notation, katakana「アジマリカン」 and hiragana「あじまりかん」, but they have no special meaning. The appearance of hiragana is felt softer, but it is exactly the same if you utter (or think), so you don’t have to be nervous about the type of kana. In the text, it is unified as katakana「アジマリカン」(in Japanese sentences only).

 ここで、天皇行法とは山蔭神道に伝わる、大神呪「アジマリカン」なるの奉唱と、「自霊拝」という、二種類の修行方法をせたものであることを頭に入れて置いていただきたい。何しろ、応神天皇の時代から「アジマリカン」が伝承されているのだ。佐藤博士の『日本とはどんな国』P.74に「天皇行法」についての次の既述がある。
 Here, keep in mind that the Emperor’s ascetics is a combination of two types of training, the singing of the great Kami’s spell “Ajimarikan” and the “Jirei-hai (= worshiping own spirit)” that are handed down in Yamakage Shinto. I want you to memorize it. After all, “Ajimarikan” has been handed down since the time of Emperor Ojin. Dr. Sato’s “What kind of country is Japan?” P.74 has the following statement about “the Emperor’s ascetics”.

 『天皇行法』は、皇祖天照大神の当初から伝えられ。初代天皇以来歴代の天皇が、身をもって御親裁遊ばされた秘法である。『すめらみこと』(天皇)とは、この行法を身をもって修正し、その行法の『いのち』が、御身の中にIncarnateなされた御方をいうのであった。
 すなわち、天皇の御資格は、この行法の修行完了にある。この行法修行によって、天皇の位格が定まった。それほどに重大かつ神秘のものであるから、これを厳秘中の厳秘として保有されたものであろう。
 ”The Emperor’s ascetics” was handed down from the beginning of Amaterasu Omikami (= from the era of Japanese Mythology). It is a secret method that has been played by successive emperors since the first emperor. “Sumeramikoto” (the emperor) was the one who performed this practice by himself and the “life” of that practice was incarnated in his body.
 In other words, the qualification of the emperor lies in the completion of the training of this practice. The hypostasis of the emperor was determined by this practice. Since it is so serious and mysterious, it must have been held as confidential.

 ところが、応神天皇の時代にいたり、内外多端のため、天皇御親裁ではことを欠くことが多く、側近のうちより霊能ゆたかな臣下を選んで、その行法をどらしめ、研鑚を積ましめた。
 その司の家筋が、当時から今日まで約一千六百年にわたって存続し、七十九代相続している。この家筋の人々は、天皇の背後にあって、専心その道を修行し。たえず天皇に奉仕し奉った。
 However, when the era of Emperor Ojin has come, and owing to the pressure of events inside and outside, he often lacked in the emperor’s parental decisions, he chose a psychic vassal from among his aides, made him govern and study the ascetics.
 The office’s family line has survived for about 1,600 years from that time to the present day, and has been inherited for 79 generations. Behind the emperor, the people of this family practiced their way devotedly. They constantly served the emperor.

 天皇の蔭に侍して、奉行申し上げるから、その『天皇行法』のことを、別名では『天皇神道』または『山蔭神道』と称している。
『山』とは天皇の御事、『蔭』とは、その背後に侍ることである。長年にわたる研鑚の記録は、これを禁書秘録と称して、天皇とその司の外には、誰人も見ることが厳禁されて、今日にいたっている。
 しかるに、日本の国家にとっても、ついにこれを世界に公表すべき『天の時』が到来し、日本の有史以来、民草も始めてこれを知ることができるようになった。
 Since they have been served the successive emperors in the shade (= “kage” in Japanese), we call the Emperor’s ascetics “Emperor Shinto” another name “Yamakage Shinto”.
 The “mountain (=”yama” in Japanese)” is a language of the Emperor, and the “shadow (=”kage” in Japanese)” is serving behind the Emperor. Many years of study records are called a banned book confidential record, and it is strictly forbidden to see anyone outside the Emperor and his office, to this day.
 However, even for the Japanese nation, the “time of heaven” that should be announced to the world has finally arrived, and since the dawn of history of Japan, the people has become able to know this for the first time.

 以上のレポートからも、今までずっと「アジマリカン」が唱え続けられたことは疑いのない事実である。大神呪と言われる「アジマリカン」が悪いものであるはずがない。「アジマリカン」が悪いものであれば、どこかの時点で捨てられていたはずだからだ。
 From the above reports, there is no doubt that “Ajimarikan” has been chanted all the time. The “Ajimarikan”, which is said to be a great Kami’s spell, cannot be bad. If the “Ajimarikan” was bad, it would have been thrown away at some point.

◆アジマリカン≠トホカミエミタメ [Ajimarikan ≠ Tohokamiemitame]

 大神呪と呼ばれる呪言は「アジマリカン」だけではない。「トホカミエミタメ(トホカミエヒタメ)」も大神呪と呼ばれているが、「アジマリカン」とどこが違うのだろう。大神呪には「神」という文字が入っているが、それだけならば「トホカミエミタメ」も同様である。だが、両者には本質的な違いがあるはずだ。両者の違いは実際に称えた時の音感からも明らかである。
 ”Ajimarikan” is not the only spell called the great Kami’s spell. “Tohokamiemitame” is also called the great Kami’s spell, but what is the difference from “Ajimarikan”? The great Kami’s spell contains the characters “okami(=大神)”, but the same is true for “Tohokamiemitame”. But there must be an essential difference between the two. The difference between the two is clear from the sense of pitch when actually chanting.

 まずは、「アジマリカン」を実際に称えた時の音感である。
 First of all, the acoustic feeling when actually chanting “Ajimarikan”.

1.「アジマリカン」には明瞭なリズム(「ジ」・「リ」・「ン」の三拍子)がある。この三拍子とはワルツのリズムである。
2.「アジマリカン」には明るい響きがある。「ア」の母音が三つもある。陽性。
3.「アジマリカン」には動きがある。「リ」の音が回転感覚をもたらす。
4.「アジマリカン」は繰り返し称えることが前提となっている。
5.「アジマリカン」にはレーザー光線のような強い指向性がある。

  1. “Ajimarikan” has a clear rhythm (the triple time of “Aji”, “Mari”, and “Kan”). This triple time is the waltz rhythm.
  2. “Ajimarikan” has a bright sound. There are also three “a” vowels. Positive.
  3. There is movement in “Ajimarikan”. The sound of “ri” brings a sense of rotation.
  4. It is premised that “Ajimarikan” is repeatedly chanted.
  5. “Ajimarikan” has a strong directivity like a laser beam.

 同じように、「トホカミエミタメ」固有の音感を列挙してみよう。
 In the same way, let’s enumerate the unique sounds of “Tohokamiemitame”.

① 「トホカミエミタメ」のリズムは「トホミ」・「エミメ」の二拍子であると感じる。柱時計の振り子のリズム。「ホ」・「ミ」・「ミ」・「メ」の四拍子という捉え方もある。
② 「トホカミエミタメ」にはじわっとした響きがあるが、「薄明」の明るさである。
③ 「トホカミエミタメ」は音としての動きが少なく、籠もった感じがする。陰性。
④ 「トホカミエミタメ」を唱えると「トホカミ」が終わったところで引っかかる。繰り返し唱えることが難しい。
⑤ 「トホカミエミタメ」には「カミ」の音が含まれる割には、あまり「神」を感じない。「アジマリカン」と比較すれば優しい感じがする。やや女性的な響きである。
(1) I feel that the rhythm of “Tohokamiemitame” is a double time signature of “Tohokami” and “Emitame”. The pendulum rhythm of the wall clock. There is also a way of thinking that it is a four-beat of “Toho”, “Kami”, “Emi”, and “Tame”.
(2) “Tohokamiemitame” has a gentle sound, but it is “twilight”.
(3) “Tohokamiemitame” has little movement as a sound and feels like to be shut. negative.
(4) If you chant “Tohokamiemitame”, you will get caught at the end of “Tohokami”. Difficult to recite.
(5) Although “Tohokamiemitame” contains the sound of “Kami”, I don’t feel “kami” very much. It is felt gentle compared to “Ajimarikan”. It sounds a little feminine.

 以上のような分析結果から見れば、大神呪「アジマリカン」には、最初から明確な設計目標があったことが想定される。「アジマリカン」の設計目標とは、次の通りである。
 From the above analysis results, it is assumed that the great Kami’s spell “Ajimarikan” had a clear design goal from the beginning. The design goal of “Ajimarikan” is as follows.

「強く明るく調子よく『神力』を発動させる」
“Actuate ‘Kami’s power’ strongly, brightly and in good condition”

 この設計目標は、システムエンジニアとして「アジマリカン」という言葉をリバースエンジニアリング(=設計思想の抽出)した結果である。「トホカミエミタメ」は女性的で優しい感じがするが、「アジマリカン」ほどの強さや明るさが感じられず、リズム感も乏しい。
 This design goal is the result of reverse engineering (= extracting the design concept) the word “Ajimarikan” as a system engineer. “Tohokamiemitame” is felt feminine and gentle, but it isn’t felt as strong or bright as “Ajimarikan”, and it lacks a sense of rhythm.

 もっとも、私がどんな解析結果を述べようが、それは私の個人的な感覚や体験から出てきたものであり、完全に証明されるような性質のものではない。言えるのは、「アジマリカン」に関して私が列挙した各々の特性は蓋然性が高いということである。故山蔭基央師は『神道の生き方』の中で、次のようなことを語る。
 However, no matter what analysis I give, it comes from my personal feelings and experiences, not of a completely proved nature. What I can say is that each of the properties I have listed for “Ajimarikan” is highly probable. The late Motohisa Yamakage talks about the following in “The Way of Life in Shinto”.

 山蔭神道に伝えられる大神呪「アジマリカン」を唱えると、神秘な奇跡が起こると言われている。
 山蔭神道では、神秘的な祈禱の際には、この大神呪が唱えられる。もちろん、毎日の祈りにも、鎮魂・瞑想のときでも唱えられるのである。
 It is said that a mysterious miracle will occur when you recite the great Kami’s spell “Ajimarikan” that is handed down in Yamakage Shinto.
 In Yamakage Shinto, this great Kami’s spell is chanted during mysterious prayers. Of course, it can be chanted in daily prayer and during chinkon (= repose of soul) and meditation.

 前掲著内で山蔭師は、「アジマリカン」を唱えて起きた奇跡の事例を、幾つも挙げておられる。「アジマリカン」が神秘の力を持ったコトタマであることは間違いがなかろう。だが、「この言葉は古伝であって、意味は不明である」(『神道の神秘―古神道の思想と行法』春秋社、2000年)とも語っている。
 In the above-mentioned book, Rev. Yamakage gave a number of examples of miracles that occurred by chanting “Ajimarikan”. There is no doubt that “Ajimarikan” is a kototama with mysterious power. However, he also said, “This word is an ancient tradition, and its meaning is unknown” (“The Mystery of Shinto: Thoughts and Practices of Ko- Shinto”, Shunjusha Publishing Co., Ltd., 2000).

 佐藤博士は『日本とはどんな国』で、「『アジマリカン』とはヘブル語で『世の罪を負う祭司長』の意味である」と発表されている。だが、山蔭師は納得されなかった様子(前掲著P.79「いずれも正鵠を得ているとは思われない」)である。
 Dr. Sato has announced in “What kind of country is Japan?” “‘Ajimarikan’ means ‘the chief priest who bears the sins of the world’ in Hebrew”. However, it seems that Mr. Yamakage was not convinced (P.79, op.cit., “I don’t think any of them have obtained the right answer”).

◆アジマリカン=「結び」の働き [Ajimarikan = The Function of “connection” (”musubi” in Japanese)]

 拙著『日本建国の秘密 ヤコブ編』の第五章で、次のような「の法則」について書いた。
 In Chapter 5 of my book, “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition”, I wrote about the following “laws of one, two, three”.

「アジマリカン」は「あじ」、「まり」、「かん」の三拍子で創造原理を表現している。拍子毎に二個の音素が含まれた二重の音節構造である。
日本建国に関連する重要な要素を三拍子で表現すると次のようになる。
 ”Ajimarikan” expresses the creation principle with the triple time of “Aji”, “Mari”, “Kan”. It is a double syllable structure containing two phonemes for each beat.
The important elements related to the founding of Japan can be expressed in triple time as follows.

【表:一二三の法則=「アジマリカン」の創造原理】

一 [One]
二 [Two]
三 [Three]
備考 [Note]
 あじ [Aji]
 まり [Mari]
 かん [Kan]
 結びのコトタマ [Kototama of connection]
  陽(高御産巣日神)[Plus(Takamimusubi-no-kami)]  陰(神産巣日神)[Minus(Kamimusubi-no-kami)]   陽陰合体の創造物 [Plus-Minus connected creations]  
 父 [Father]
 母 [Mother]
 子 [Child]
 
  伊耶那岐命(父) [Izanagi-no-mikoto (Father)]   伊耶那美命(母) [Izanami-no-mikoto (Mother)]  三貴子(子) [Three noble children (Child)] 筆者の『古事記』観ではこうなる [tThis is my view of Kojiki]
 イスラエル [Israel]  縄文 [Jomon]  日本国 [Japan]  ヤマト建国 [Yamato founding of a country]
アメノヒボコ=武内宿禰(父) [Ame-no-hiboko = Take-no-uchi-no-sukune (Father)] トヨ=神功皇后(母) [Toyo = Jingu-kogo (Mother)]
 応神天皇(子) [Emperor Ojin (Child)]
 皇室の発祥 [Origin of the Imperial Family]
草薙剣 [Kusanagi-no-tsurugi]  八咫鏡 [Yata-no-kagami]  八尺瓊勾玉 [Yasakani-no-magatama] 例外(勾玉は縄文時代からあった) [Exception(Magatama has existed since Jomon period)]  *三種の神器 [Three Sacred Treasures]


 これらの事例だけをもって法則であるとするにはデータ不足の観があるが、極めて単純な「一、二、三」のリズムが日本建国という出来事を支配しているように見える。
 このことから、創造原理を「一二三の法則」と呼びたくなるのである。宇宙は単純な「一二三の法則」に従って創造されたのだということが、日本建国という出来事を観察すれば理解できる。これは頭で理解するというよりは腹で理解すべきことらしいということも分かってくる。
 There is a view that there is a lack of data to make it a law based only on these cases, but it seems that a very simple “one, two, three” rhythm dominates the event of the founding of Japan.
 For this reason, it is tempting to call the creative principle “the law of 1,2,3”. It can be understood by observing the event of the founding of Japan that the universe was created according to the simple “law of 1,2,3”. It also turns out that this seems to be something that should be understood with “hara” (= belly in Japanese) rather than with the head.

「腹で理解する」とは体感することであり、直接認識することに他ならない。「あじあまりかん」には神の秘密、宇宙の奥義が音として入っているから、「アジマリカン」と自ら称えることによって、真理を体得していただきたい。それしか正しい方法はないのである。
 一二三の法則とは、日本建国に関連して、「あじ・まり・かん」の三拍子で新しい価値が創造されるパターンが幾つも存在するというものだ。法則とは言っても、数学の方程式のような厳密なものではなく、何となく感じるという類の「型」のようなものだと受け取っていただきたい。
 ”Understanding with the belly” is to experience and to recognize directly. Since the secret of Kami and the mystery of the universe are included as sounds in “Ajimarikan”, I would like you to learn the truth by chanting “Ajimarikan” yourself. That’s the only right way.
  The law of 1,2,3 is that there are many patterns in which new value is created with the triple time signature of “Aji, Mari, Kan” in relation to the founding of Japan. I would like you to think that the law is not a strict one like a mathematical equation, but a kind of “kata” (=pattern) that you feel somehow.

 ここで、「一二三の法則」を「結びの法則」と言い替えれば、さらによく理解できるだろう。この型から感じられるのは、「日本は自然に建国された」ということだ。「自然に」は「結びの法則のままに」と言い替えることができる。ヤマト建国は「結び」によって成ったということが、一種の型(=パターン)として伝えることができていれば本論の試みは半ば成功したと言ってよい。
 Here, if we paraphrase “the law of 1,2,3” as “the law of musubi(=connection)”, we can understand it better. What you can feel from this pattern is that “Japan was founded naturally”. “Naturally” can be rephrased as “as is the law of musubi(=connection)”. It can be said that the attempt of this paper was half successful if it was possible to convey that the founding of Yamato was made by “musubi” as a kind of pattern (= pattern).

 筆者が『日本建国の秘密 ヒボコ編』を書いた一つの理由は、ヤマト(=日本)建国を導いたアメノヒボコの事跡を顕彰することで、「結び」の型そのものを浮かび上がらせたかったからだ。日本建国という出来事を観察することによって、「結びの法則」の働き方が理解し易くなると考えたのである。
 One of the reasons I wrote “The Secret of the Founding of Japan, Hiboko Edition” was to make it clear that honoring the traces of Ame-no-hiboko, who led the founding of Yamato (= Japan), is the model of “musubi (=connection)” itself. I thought that observing the event of the founding of Japan would make it easier to understand how the “law of musubi (=connection)” works.

◆アジマリカンとは造化三神の音声的顕現 [Ajimarikan is the phonetic manifestation of the three Kamis(=gods) of creation]

 結びの法則について検討したので、結びとは何かが分かれば、アジマリカンの正体も明確になる。結びの基本原理とは、「陽(高御産巣日神)+陰(神産巣日神)=陽陰合体の創造物」という神の造化の働きを意味している。この式の中には「天之御中主神」は見えない。だが、理論的には陽(高御産巣日神)も陰(神産巣日神)も(天之御中主神)より発しており、これらの三神は「独り神(不可視の原理的な実体)」である。
 Since we have examined the law of musubi(=connection), if we know what musubi is, the identity of Ajimarikan will become clear. The basic principle of musubi means the work of the god’s creation of “yang (Takamimusuhi no Kami) + yin (Kamimusuhi no Kami) = creation of yang-yin union”. “Ame no Minakanushi no Kami” cannot be seen in this equation. However, theoretically, both the yang (Takamimusuhi no Kami) and the yin (Kamimusuhi no Kami) originate from the minaka(=middle) (Ame no Minakanushi no Kami), and these three Kamis are ” hitori-gami” (an invisible principle entity occupying the whole universe).

 造化三神とは、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神を一体のものとして把握する呼称である。これらの三神をまとめて宇宙創造(=造化)の原理であると理解すべきだ。すなわち、造化三神(の作用)が音として現われたものが「アジマリカン」のコトタマなのである。造化三神とは、「アジマリカン」という音によって、人間が体感認識することのできる最高神なのである。
 The three Kamis(=gods) of creation are the names that grasp the three gods of Ame no  Minakanushi no Kami, Takamimusuhi no Kami, and Kamimusuhi no Kami as one. It should be understood that these three Kamis (= gods) are collectively the principle of universe creation. In other words, the Kototama of “Ajimarikan” is the sound of the three Kamis (= gods) of creation. The three Kamis (= gods) of creation are the supreme kamis (= gods) that human beings can experience and recognize by the sound of “Ajimarikan”.

 最高神の姿は見えないが、「アジマリカン」の音(=響き)となって顕現される。
 The image of the Supreme Kami (=God) cannot be seen, but it is manifested as the sound (= vibration) of “Ajimarikan”.

 これが私の発見であり、実際に私が「アジマリカン」を念じた結果として分かったことなのである。何度も登場する佐藤博士も氏の『日本とはどんな国』で、次のような述懐を残されている。
 This is my discovery, and in fact it was the result of my thoughts on “Ajimarikan”. Dr. Sato, who appears many times, also has the following remarks in his “What kind of country is Japan?”.

「その全体から来る霊的波調は、どうしても『神と人』とが一如になり、『神』が人の中から顕現する時の霊の響きのように受けとられる」
 ”The spiritual wave that comes from the whole (Ajimarikan) is received like the sound of the spirit when “Kami and human” are united and “Kami” manifests from within the human.”

 博士のこの述懐は、私の体験した内容と全く同一内容であるとみなす。私の表現よりもむしろ的確であるとさえ感じる。このように「アジマリカン」を称えたり念じたりした時には、実際に同一の神のエネルギーが鳴り響くことが理解できる。その神を『古事記』の造化三神、別名は「大元霊(だいげんれい)」、「天津渦々志八津奈芸天祖大神(あまつうずうずしやつなぎあめのみおやのおおかみ)」(『神道の生き方』山蔭基央、学研、2010年)などとお呼びしている。最後の長大な神名に含まれる「八津奈芸」は「八繋」とも書かれるが、後者の方が正しい意味を表現している。この「繋」とは「陽・陰の結び」という意味である。
 I consider this description of the doctor to be exactly the same as what I experienced. I even feel it is more accurate than my expression. It can be understood that the same divine energy actually resonates when chanting or thinking about “Ajimarikan” in this way. The Kami is the three Kamis of the creation of “Kojiki”, also known as “Daigenrei”, “Amatsu Uzuuzushi Yatsunagi Ameno Mioya no Okami”(“Shinto way of life” Motohisa Yamakage, Gakken, 2010) and so on. “Yatsunagi” included in the last long god’s name is also written as “Yatsunagi”, but the latter expresses the correct meaning. This “tsunagi” means “the connection of yang(=plus) and yin(=minus)”.

 この「アジマリカン」というコトタマの意味は、伝承者である山蔭師の著作には明確には書かれていないのだが、山蔭家の秘伝書にはひょっとしたら書かれているかも知れない。機会があれば自分の目で確認したい。ちなみに、『神道の生き方』の125頁には、「天津渦渦志八繋之神結あまつうずうずしやつなぎのかむむすび」なる言葉が「アジマリカン」であると書かれた図が掲載されている。この事実からも、大神呪「アジマリカン」の正体が造化三神=最高神であることは間違いない。
 The meaning of the word “Ajimarikan” is not clearly stated in the work of the successor, Rev. Yamakage, but it may be written in the secret book of the Yamakage family. If I have a chance, I want to check it with my own eyes. By the way, on page 125 of “Shinto’s way of life”, there is a figure in which the word “Amatsu Uzuuzushi Yatsunagi no Kamumusubi” is written as “Ajimarikan”. From this fact, there is no doubt that the true identity of the great Kami’s spell “Ajimarikan” is the three Kamis of creation = the highest god.

◆アジマリカン奉唱時のエネルギー場とは [What is the energy field when chanting Ajimarikan?]

 ただし、晩年の山蔭師は「アジマリカン」の真義をお忘れになったようだ。図のタイトルには「瞑想時の想念抽象図」と書かれており、ピント外れであり、正しくは「アジマリカン奉唱時の本体神のお働き」とすべきである。この図が含まれる山蔭家の秘伝書を確認したいものである。
 However, Rev. Yamakage in his later years seems to have forgotten the truth of “Ajimarikan”. The title of the figure says, “Abstract thoughts during meditation”, and should be out of focus and should be correctly “The work of the main kami when chanting Ajimarikan”. I would like to confirm the secret book of the Yamakage family that includes this figure.

 自家の秘伝書の中に「アジマリカン」の秘密を伝える上図のような貴重な財産が存在するのに、その価値が分からないままに亡くなられたという事実があるからだ。
 This is because there is a valuable property like the one shown above that tells the secret of “Ajimarikan” in his families’ secret book, but he died without knowing its value.

 前掲図が残っているという事実は極めて重い。必要があって生前の過ちを正すということにおいては、相手が故人だろうが年長者だろうが関係はない。山蔭師は呆けてしまって、事の重大さを分かっていなかった。
 The fact that the above figure remains is extremely heavy. It doesn’t matter whether he is a deceased person or an older person when it comes to correcting his mistakes in his life. Rev. Yamakage was in his dotage, and he didn’t understand the significance of the matter.

 大神呪「アジマリカン」は畏れ多くも造化三神がお働きになるコトタマであり、最高神は「アジマリカン」なる音として顕現される。山蔭神道は身命を賭してそのことを伝えなければならないのである。大神呪「アジマリカン」を伝承するとは、そういう重大な使命を授かったということに他ならない。ところが、山蔭師は自分でどうしても解けなかったので、大神呪「アジマリカン」の秘密解明を佐藤定吉博士に託したのである。
 The great Kami’s spell “Ajimarikan” is a kototama in which many of the three gods of creation work, and the highest god is manifested as the sound of “Ajimarikan”. Yamakage Shinto must bet on its life and tell it. To hand down the great Kami’s spell “Ajimarikan” is nothing but to have been given such an important mission. However, Yamakage couldn’t solve it by himself, so he entrusted Dr. Teikichi Sato  to unravel the secret of the great god curse “Ajimarikan”.

 自分の家筋は、山蔭神道と申して、応神天皇以来今日まで、『天皇行法』を司どり、天皇御自らが行ぜられる神道の秘法をお預かりしている家柄である。自分は若くしてその家を嗣ぎ、その任務を果したいと、日夜努力しているが、敗戦後の日本は、どうしてもこれを日本だけでなく、国際的にも紹介したい。
 ついては、今までのような国学者では、その目的を達しかねる。何としても、欧米文化の中心力である科学と、さらにキリスト教に通暁されている人の援助を必要とする。あなたが、その人であることを信ずるから、この日的のために協力して欲しい。(佐藤定吉著『日本とはどんな国』より)
 My family is called Yamakage Shinto, and since Emperor Ojin, we have been in charge of the “Emperor’s ascetics” and have been entrusted with the secret method of Shinto that the emperor himself practices. I’m trying hard day and night to take over the house at a young age and fulfill its mission, but after the defeat, we definitely want to introduce this not only in Japan but also internationally.
 As for the national scholars like before, they cannot achieve that purpose. At any rate, we need science, which is the core of Western culture, and the help of those who are familiar with Christianity. I believe that you are that person, so please cooperate for this day. (From “What kind of country is Japan?” by Teikichi Sato)

 山蔭師は前頁の「瞑想時の想念抽象図」という、アジマリカンの解明資料をご自身の著書『神道の生き方』に掲載しているにも拘わらず、その意味を説明できなかった。解答は図の中に、「天津渦渦志八繋之神結 Spiral Energy Field」と、明確に書かれているのである。「天津渦渦志八繋之神結」とは「造化三神による大いなる結びの作用」という意味であり、英語の”Spiral Energy Field”は「螺旋状のエネルギー場」と訳することができ、「アジマリカン」奉唱時のエネルギー場の簡明な説明になっている。
Rev. Yamakage could not explain the meaning even though he published the elucidation material of Ajimarikan called “Abstract drawing of thoughts during meditation” on the previous page in his book “Shinto way of life”. The answer is clearly written in the figure as “Amatsu Uzuuzushi Yatsunagi no Kamumusubi: Spiral Energy Field”. ” Amatsu Uzuuzushi Yatsunagi no Kamumusubi” means “the action of the great connection by the three Kamis of creation”. It is a simple explanation of the energy field when “Ajimarikan” is chanted.

 この図からも明らかなように、山蔭神道の先代神主に理科系の発想をされる方がおられたことが分かる。たまたま理科系の私が同図を見たので、意味がはっきりと分かったのだが、肝心の山蔭基央師は同図の意味が分からず、「瞑想時の想念抽象図」というおかしなタイトルを付けてしまったのだ。私的には「そのタイトルって違うでしょ!」と突っ込まずにはおれなくなる。山蔭師の先代(現在は神界の住人で、生前に同図を残された)は弟子の著作『神道の生き方』を観じて、大いに嘆かれたことだろうと推察するのである。
 As is clear from this figure, it can be seen that the predecessor priest of Yamakage Shinto had a science-based idea. I in sciences happened to see the figure, so I understood the meaning clearly, but Rev. Motohisa Yamakage didn’t understand the meaning of the figure, so he gave it a strange title, “Abstract drawing of thoughts during meditation”. Personally, I can’t help but rush in, “The title is different!”. It is speculated that Rev. Yamakage’s predecessor (now a resident of the kami-world who left the figure in his lifetime) would have been greatly lamented when he saw his disciple’s book, “The Way of Life in Shinto”.

◆アジマリカン発祥とイスラエルの関係 [Relationship between the origin of Ajimarikan and Israel]

 旧約聖書によれば「ヤコブ=イスラエル」である。イスラエルの風(次章を参照)が日本列島に吹き込んだのは、「ヤコブの霊」が日本列島に入ってきたということだと想像できるのだが、歴史的な意味がありそうだ。また、その時期も知りたいし、対応する出来事の詳細も知りたい。
 According to the Old Testament, it is “Jacob = Israel”. It can be imagined that the Israeli wind (see next chapter) blew into the Japanese archipelago because “Jacob’s spirit” entered the Japanese archipelago, but it seems to have historical significance. Also, I want to know the time, and I want to know the details of the corresponding event.

 わざわざ「ヤコブの霊」という表現を取っているのは、ヤコブなる人間は紀元前二千年ごろに亡くなっているためだ。亡くなった人間は霊になる。つまり、「ヤコブの霊は日本列島に生まれ変わった」という考え方を取り入れたい。霊的実体の輪廻転生という現象を、普通に起きていることであると考えれば説明は付く。
 The expression “Jacob’s spirit” is purposely used because the human being Jacob died around 2000 BC. The deceased human becomes a spirit. In other words, I would like to incorporate the idea that “the spirit of Jacob was reborn in the Japanese archipelago”. The phenomenon of reincarnation of spiritual entities can be explained by considering it as a normal occurrence.

 それでは、一体いつ頃にヤコブの霊は日本列島に生まれ変わったのであろうか。また、歴史上の誰として生まれ変わったのか。
 Then, when was Jacob’s spirit reborn in the Japanese archipelago? Also, who was reborn as in history?

 結論から言えば、ヤコブは三世紀頃に伽耶の国にアメノヒボコとして生まれ変わってきたのだ。霊が生まれ変われば表面的には前世の記憶や記録は完全に失われ、別人としての人生を送ることになる。だがヤコブの霊的実体は失われていないので、「ヤコブの霊」という表現になるのだ。
 In conclusion, Jacob was reborn as Amenohiboko in Kaya country around the 3rd century. On the surface, if the spirit is reborn, the memories and records of the previous life will be completely lost, and he will live a life as a different person. However, since Jacob’s spiritual substance has not been lost, it is expressed as “Jacob’s spirit.”

 拙著『日本建国の秘密 ヤコブ編』(日本建国社、2021年)には、「ヤコブ=アメノヒボコ=私」という輪廻転生の物語を書いたが、この等式に関しては注意が必要である。
 輪廻転生の仕組は未だに解明されてはいないので、単純な等式は成り立たない可能性が高い。また、等式の中身は現時点では完全にブラックボックスであり、物証や文献では証明できない。私の認識の世界において一貫性があるという話でしかない。
 In my book, “The Secret of the Founding of Japan, Jacob Edition” (Nihon Kenkokusha, 2021), I wrote the story of reincarnation, “Jacob = Amenohiboko = I”, but caution is required regarding this equation.
 Since the mechanism of reincarnation has not yet been elucidated, it is highly likely that a simple equation does not hold. Also, the content of the equation is completely a black box at this time and cannot be proved by physical evidence or literature. It’s just a story of coherence in the world of my perception.

 輪廻転生に関しては、釈尊も多くの前世を語っているが、それらが正しいと検証されているわけではない(大部分は創作された説話だろう)。私の前世も、ヤコブだったりアメノヒボコだったりしている可能性はあると言いたいが、現時点では物的証拠や文献的証拠は存在しないので、単なる想像でしかない。ただ、大本などで「一厘の仕組」と呼ばれている神の最終計画があって、その計画の中で、ヤコブやアメノヒボコが関係していたという想像を語るのみである。
 Regarding reincarnation, Buddha also talks about many previous lives, but they have not been verified as correct (mostly probably created narratives). I would like to say that my previous life may have been Jacob or Amenohiboko, but at this point there is no physical or literature evidence, so it is just an imagination. However, I only talk about the imagination that Jacob and Amenohiboko were involved in the final plan of Kami, which is called “The mechanism of Ichirin(=One bit)” in Omoto.

 本件については、次章「アジマリカンの歴史的属性」で詳細を検討する。
 This matter will be discussed in detail in the next chapter, “Historical Attributes of Ajimarikan”.

第一章 私のあじまりかん体験 [Chapter 1 My “Ajimarikan” experiences]

◆「アジマリカン」と出会った頃の私的事情 [My private condition of encountering “Ajimarikan”]

 六十歳になった時、今まで在籍していたソフト会社を定年退職し、フリーとなった。フリーとなっても、ソフト開発の仕事はそのまま継続した。だが、年齢の問題が少しずつ大きくなってきた。自分のスキルが鈍ったという感覚はあまりなく、「これならまだまだやれる」と思い込んでいた。
 When I became 60 years old, I retired from a registered software company so far and became free. The work of the software development was just continued even if I became free. But a problem of the age became slightly big. I took the sense that own skill did not become dull “to be able to do this still more”.

 還暦を過ぎて年金をもらうようになったプログラマを使い続ける、という発想はソフトウェア業界にはないようである。アメリカのソフトウェア業界では、高齢プログラマの活躍の場所があるらしいが、日本の業界ではプログラマの経験値が全く考慮されない。定年を過ぎたシステムエンジニアは採用しないということになっているように見える。これは日本のソフトウェア開発業界の悪しき慣例である。
 The software industry does not seem to have the idea to continue employing the programmer who passed the sixtieth birthday and came to get a pension. In the software industry of the United States, there seems to be a place of the achievement of the old programmer, but the experience level of the programmer is not considered at all in the Japanese industry. It seems that the software company does not adopt system engineer of retirement age. This is bad custom of the software development industry of Japan.

 定年を言い渡されてフリーになった時点で、今日のような事態が来ることを、ある程度予想はしていた。ちょうどそういう時に佐藤定吉著『日本とはどんな国』(たま出版、1979年)を読む機会があった。恐らく学生時代に購入していた同著は、読まれることもなく、長期間屋根裏に眠っていたのだが、ようやく日の目を見たのである。私は同著を読んで、「アジマリカン」という言葉を学生時代から知っていたことも思い出した。当時の友人が「アジマリカン」を唱えていた、その調子までよみがえった。私は早速「アジマリカン」を念ずるようになり、ソフト開発の現場で「アジマリカン」を念ずる「アジマリカン行者」となったのである。
 A retirement age was announced and expected that a situation like today came to some extent when I became free. There was just such an opportunity to sometimes read “What kind of country is Japan?” (Teikichi Sato, Tama shuppan, 1979). Probably the book which I purchased in school days lied in the garret for a long term without being read but was finally recognized by me. I read the work and remembered that I knew the word “Ajimarikan” from school days. A friend at the time advocated “Ajimarikan”, remembered up to the tune of it. I came to pray for “Ajimarikan” promptly, and became an “Ajimarikan ascetic” praying “Ajimarikan” on the site of the software development.

 そもそも、私は二十代頃からずっと神さま事が好きな人間で、学生時代には宗教探求にのめりこむような状態だった。だが、社会人になってからは神さま事からは遠ざかっていた(詳細は拙著『アジマリカンの降臨』を参照)。早い段階で既成の宗教というものに対する興味も失せていたからだ。神さま(=宗教)関連の本も大部分は処分してしまって、主に歴史関連の書物(特に日本古代史関連)を読むことが、数少ない楽しみのひとつになっていたのである。
 In the first place, I was in condition to be absorbed in religions search, I liked Kami things all the time from around 20 generations for school days. But, after I became a member of society, I went away from Kami things (For details, see my book “The Advent of Ajimarikan”). This is because the interest for what’s called established religion faded away at an early stage. Most of the Kami(= religion)-related books had been disposed, and it was in one of the pleasure that there were few that I read books about history (the Japanese ancient history in particular) mainly.

◆神=「アジマリカン」で私に飛び込んできたモノ [Kami = the entity jumped in me with “Ajimarikan”]

 大神呪「アジマリカン」と出会った私は、その当初から日々「アジマリカン」を念ずる生活に入っていた。「アジマリカン」をえて最初に驚いたのは、今まで感じたことのない霊的な波動が、「アジマリカン」の音に乗って私の身体に入ってきたことである。その時、「何だこれは! これが神というものか……」と思っていた。それまでは、神を念じたり、心の中の神に向かって祈ったりするようなことはあっても、「アジマリカン」を念じた時のような神の波動は感じたことがなかった。だから、神の波動が自分のにサッと入ってきた時には、大いに驚いたのである。
 I who met the great Kami’s spell “Ajimarikan” began the life to pray “Ajimarikan” every day from the first. It is that the spiritual wave that I have not felt, entered my body to a sound of “Ajimarikan” so far that was surprised to advocate “Ajimarikan” first. Then, “What’s this! This must be so to say Kami….”, I thought. Even if I prayed for Kami, even if I prayed towards Kami in the heart, and the wave of Kami when I prayed for “Ajimarikan” has not been felt till then. Therefore, I was surprised very much when the wave of Kami entered own body quickly.

 私はいわゆる霊媒体質(幽的なものを感じる体質)ではないので、霊や神の世界が見えたり、そういう声が聞こえたりといったことはなかった。だから、神社に出かけて神霊の姿を見たり、神や霊のお告げを聞いたり、幽霊を見たり、といった体験は皆無である。例外的に霊的な内容の明晰夢を見ることがあったぐらいである。夢の中ではキリストらしき霊(イエスではなく太陽神霊)が出てきたり、宇宙人が出てきたり、百合の花の妖精が出てきたり、前世の一コマらしい夢を見ることもあった。
 As I was not so-called medium constitution (constitution to feel the thing which is astral), I have not seen the world of soul and Kami, and I have not heard such a voice. Therefore, I have no experience to see ghosts or kamis when I went to the Shinto shrine. I might have the lucid dream of spiritual contents exceptionally. The soul like Christ (not Jesus the Sun divine spirit) came out in the dream, and an alien came out, and the fairy of the flower of the lily came out and might have dream that seemed to be a scene in previous life.

 学生時代は時間があった(暇だった)ので、専攻している物理学の勉強よりも新興宗教の教祖たちの著作内容の方に興味を持った。ヨガの瞑想をしたり、座禅を組んだり、新宗教と呼ばれる「生長の家」(以降「S会」)の神想観や「白光真宏会」(以降「B会」)の統一、神智学系の「竜王会」の瞑想といった各種の修行は習慣的に行っていた。もともとそういう神秘系の修行は好きだったので自然に実践していたのだ。
 I was interested toward the writing contents of the founders of the new religion than the physical study that I majored in in one of which had time for the school days (I was free). I did meditation of the yoga and made Zen meditation and performed the Shinsokan of “Seicho-no-ie” (“S-kai”) and the Touitsu of “Byakko-shinko-kai” (“B-kai”) of called the new religion, various ascetic practices such as the meditation of Theosophy “Ryuo-kai” habitually. Originally, I practiced them naturally as I liked the ascetic practices of such a mystery area.

 神社で祈ったり瞑想したりする目的は、仏教でいう「三昧」、ヨガの「サマーディ」、B会の五井昌久師のように神人合一の境地に到達することだった。だが、その願いは学生時代には、あと一歩というところで叶えられなかった。社会人になってからも、私の宗教的な境地がはかばかしく進展するようなことはなかったのである。
 The purpose that prayed in a Shinto shrine and meditated was that “Sanmai” of the Buddhism and “Samāj” of the yoga arrived at the state of Shinjin-gouitsu (= unity with Kami) like Rev. Masahisa Goi of B-kai. But the wish was not granted in a place of another one step for school days. My religious state did not progress remarkably even after becoming a member of society.

 私が還暦を過ぎた頃、その「あと一歩」は突然叶えられた。佐藤定吉著『日本とはどんな国』に啓発され、大神呪「アジマリカン」を真剣に念じた時のことである。その時私に訪れた啓明は、仏教で言う三昧や大悟、ヨガのサマーディとは明らかに異なるもので、むしろ日本的な体験だった。
 When I was over the sixtieth birthday, “another one step” was granted suddenly. I was enlightened by Teikichi Sato’s “What kind of country is Japan?” and it got up when I thought seriously the great Kami’s spell “Ajimarikan”. The thing which visited me was clearly different from Sanmai or great enlightenment of the Buddhism or Samāj of the yoga and was a rather Japanese-style experience.

◆私の「アジマリカン」体験の様相 [The aspect of my “Ajimarikan” experience]

 それは、「ひょっとしたら、これが神かも知れない」というものだった。瞑想的な行は、大学を卒業後も何となく続けていたが、そのような神秘体験はなかったのだ。私を訪れた神かも知れないものとは、一種の波動的な実体であった。不思議な波動が私の中に飛び込んできたのである。最初に大きな驚きと戦慄があった。
 As for it, “this might be Kami by any chance”. The meditating practice was continued after the graduation of university, but there was not such experience of mystical occurrences. It was a kind of wave-like substance that it might be Kami (= God) which visited me. A mysterious wave jumped in me. At first there were a big surprise and a shiver.

 その時始めて、私は「これが神である」と納得する何かを掴(つか)んだと思ったのである。その体験は一種の悟りなのかも知れないが、いかにも悟りを開いた「宇宙の秘密の一切を知り得た」というような状態とは違っていた。一番近いのは「宇宙と一つになった」という感覚である。何か分かるようになったとか、特別な能力を授かったというようなことではない。ただ、宇宙との一体感だけが際だっていた。自分の身体の境界が失せた感じがしたのである。それまでも宇宙との一体感はあったのだが、「神」と感じる何かが私の中に入った点において、従来の意識状態とは明らかに違っており、「これは一大事だ」と思ったのである。
 Only then did I think I grasped something that convince me “this is Kami (not equal to God)”. The experience may be a kind of Buddhahood, but it was different from the enlightened state of “knowing all the secrets of the universe”. The closest thing is the feeling of “becoming one with the universe.” It’s not like I’ve learned something, or I’ve been given a special ability. However, only the sense of unity with the universe was outstanding. I felt like I had lost the boundaries of my body. There was a sense of unity with the universe until then, but it was clearly different from the conventional state of consciousness in that something that felt “Kami” entered me, “this is notably important”, I thought.

 私には一種の霊的感受性はあるけれども、皮膚感覚を延長したかのようなものである。霊の姿は見えないし、声も聞こえない。他人の心を読んだり、遠くの物を透視したり、物品を引き寄せたり、霊界を訪問して遊び回るといった能力も体験もない。だが、霊や神の存在だけは実体として感知できるのである。その種の見えない実体の感じ方とは、その存在と一体になって「霊が目の前にいる」、「霊が自分の中に入っている」という感覚なのだ。
 I have a kind of spiritual sensitivity, but it’s like an extension of my skin sensation. I can’t see the ghosts and I can’t hear their voice. I have neither the ability nor the experience of reading the thoughts of others, seeing through distant objects, attracting goods, visiting the spirit world and playing around. However, only the existence of spirits and kami’s can be perceived as an entity. The way of feeling such invisible entities is the feeling that “the spirit is in front of me” and “the spirit is inside me” being united with its existence.

 私自身の霊的感覚とそれに関連する体験について、このように詳しく書くのは初めてのことだ。なぜこのようなことを書いたのかと言えば、大神呪「アジマリカン」で私の身に起きた体験が、それ以前の数十年では全くなかった体験だったからだ。私の「アジマリカン体験」は、良い意味で私の予想を裏切るような体験であった。「これはそのものズバリの神だ」という直観があり、とにかくビックリしたのである。ここからの文章には「直観」という言葉が数多く登場するが、それらは私の直接認識であるという意味を持つ。その点にご注意の上、読み進んでいただきたい。
 This is the first time I have written this detail about my own spiritual sensations and related experiences. The reason I wrote this is because the experience I had with the great Kami’s spell “Ajimarikan” was something I hadn’t had in the decades before. My “Ajimarikan experience” was, in a good way, an experience that betrayed my expectations. I was surprised at the intuition that “this is the kami of Zubari.” Many words “intuition” appear in the text from here, but they mean that they are my direct recognition. Please be aware of this point before proceeding.

 旧約聖書とアジマリカンでは、以下のように神認識のあり方が大きく異なっている。
 The Old Testament and Ajimarikan differ greatly in the way of recognizing God/Kami as follows.

旧約聖書 :神        → 預言者(外流、間接的、預言者だけ交流可能)
アジマリカン:神(コトバ)→ 斎藤 (内流、直接的、誰でも交流可能)
The Old Testament: God    prophets (Outer flowing, indirect, Only prophets can interact)
Ajimarikan  : Kami(= a word) Saito (Inner flowing, direct, Everyone can interact)

 旧約聖書では「外流」と言い、外なる神の言葉が預言者に伝えられる様式を取っている。一方、斎藤の場合は「アジマリカン」という言葉が自分の中で直接響き渡る。神からのメッセージは「内流」と呼ばれ、自分の中で認識される。これが決定的に異なるところである。旧約聖書の時代と現代では全く伝達様式が異なるのだが、この違いは根本的なものであって、そもそも神なる実体が全く別物であるということを意味している。一体どちらの神が本物なのか?
 In the Old Testament, it is called “Outer flowing”, and the word of the outer god is conveyed to the prophets. On the other hand, in the case of Saito, the word “Ajimarikan” echoes directly within me. The message from Kami is called “Inner flowing” and is recognized within me. This is a decisive difference. The mode of communication is completely different between the Old Testament era and the present day (especially in Japan), but this difference is fundamental and means that the divine entity is completely different in the first place. Which god is the real one?

 旧約聖書の神は外なる神であって、預言者一人としか交流することができない。一方、アジマリカンの神は内なる神であるから、誰でも交流可能である。「アジマリカンの神こそが本当の神である」と宣言したいところであるが、しばし保留しよう。
 The Old Testament God is an outer god and can only interact with one prophet. On the other hand, since the god of Ajimarikan is an inner kami, anyone can interact with it. I would like to declare that “the Kami of Ajimarikan is the true God”, but let’s put it on hold for a while.

◆「アジマリカン」は活き物? 探求の旅へ…… [Is “Ajimarikan” a living thing? To the quest journey…]

 この「アジマリカン」という呪言には極めて不思議な性質がある。それは、身体に入ってきたり、身体から出ていったりする実体を伴っているという性質だ。「アジマリカン」が身体に入っている状態とは、何か活き物(=霊的な実体)が腹中に入っているという感覚を伴うことだ。この種の感覚については、私だけでなく、私の講演を聴きに来た方の一人も、「何かお腹がほんわりと暖かい」という体験を語っているから、あり得ることかも知れない。
 This spell “Ajimarikan” has a very mysterious nature. It has the property of being accompanied by an entity that enters and exits the body. The state in which “Ajimarikan” is in the body is accompanied by the feeling that something living (= spiritual entity) is in the body. This kind of sensation may be possible because not only I but one of the people who came to listen to my lecture talked about the experience of “something warm exists in my body”.

 さらに不思議なのは、私の腹中に入った「アジマリカン」がそのまま留まっているという事実である。そういう状態になると、「アジマリカン」なる実体が身体になじんで、最終的に一つになってしまうということだ。「アジマリカン」はそういう活き物的な不思議な実体なのである。
 Even more mysterious is the fact that the “Ajimarikan” in my body remains intact. In such a state, the entity “Ajimarikan” becomes familiar with the body and eventually becomes one. “Ajimarikan” is such a living and mysterious entity.

 これはとても不思議な感覚なのだが、常時「アジマリカン」という音が私の体内(=腹の中)に成っていることを感じる。この「成っている」は「鳴っている」と同義である。
 私は、この自分の腹中で鳴っている存在を「神」と呼んでいる。この「神」とは、いったいどういう神なのであろうか? その答が得られれば、本論の目的は果たされる。
 This is a very strange feeling, but I always feel that the sound of “Ajimarikan” is existing in my body (= in my stomach). This “is existing in my body” is same pronunciation with “is ringing” (of course it is “naru” in Japanese).
 I call this ringing entity in my belly “Kami”. What kind of god is this “Kami”? If the answer is obtained, the purpose of this paper will be fulfilled.

 この感じ方は、私の個人的な突拍子もない感じ方のように思われるかも知れない。だが、そのように感じているのだから、感ずるままに書くしかない。私の中の生き物のような存在=アジマリカンとは、このように前代未聞の特性を持つコトバなのである。今までに、アジマリカンの解明を試みた人は何人もおられたようだが、その意味は未解明のままである。アジマリカンの伝承者である山蔭神道の山蔭基央師(故人)も、「この言葉は古伝であって意味は不明である。さまざまに解釈されているが、いずれも正鵠(せいこく)を得ているとは思われない」と語っている(『神道の神秘』春秋社、2000年)。
 This feeling may seem like my personal outrageous feeling. However, because I feel that way, I have no choice but to write as I feel. Being like a creature in me = Ajimarikan is a Kotoba with such unprecedented characteristics. So far, it seems that many people have tried to elucidate Ajimarikan, but its meaning remains unclear. Rev. Motohisa Yamakage (deceased) of Yamakage Shinto, the successor of Ajimarikan also said, “This word is an ancient tradition, and its meaning is unknown. I think that they are missing the point of it (“The Mystery of Shinto” Shunjusha Publishing Co., Ltd., 2000).

 しかしながら、山蔭基央師は著書『一霊四魂』(霞ヶ関書房、1973年)に、「アヂマリカムとは絶対の神の権能を示すコトタマであると共に、神を現す最大の方法であり、神の威神力を称賛し、神そのままを発現する言葉である」と述べていた。その間27年、山蔭師に、アヂマリカムに対する認識が変わるような出来事があったのだろうか。
 However, Rev. Motohisa Yamakage wrote in his book “Ichirei-Shikon” (Kasumigaseki Shobo, 1973) that “Ajimarikamu is a kototama that shows the absolute authority of Kami and is the greatest way to reveal Kami, and the power of Kami. It is a word that praises the power of Kami and expresses Kami as it is”. During that time, in 27 years, did Rev. Yamakage have any event that changed his perception of Ajimarikan?

 このように、アジマリカンとは伝承主体の山蔭神道でも意味が分からないコトタマなのだ。それにも関わらず、「これを唱えることによって、さまざまな霊験があったという話は枚挙につきない。山蔭神道では、諸霊を供養する時や、自霊の活性化を祈念する時や、あらゆる時にこの神呪を唱えるのである。これを百万遍奉唱すれば、おのずから神通力を得るともされている」(『神道の神秘』)と報告している。
 In this way, Ajimarikan is a kototama which meaning is unknown even in the traditional Yamakage Shinto. Nevertheless, “I can’t enumerate the stories that there were various spiritual tests by chanting this. In Yamakage Shinto, when offering spirits, praying for the activation of one’s own spirit, and at any time. It is said that if you chant this divine spell, you will naturally gain mythical power if you chant it a million times (“The Mystery of Shinto”).

 大神呪「アジマリカン」とは一体どういうコトタマなのであろうか?
『神道の神秘』の山蔭師の報告にいたく刺激を受けた私は、何とか大神呪「アジマリカン」の正体を突き止めたいという思いから、探求を開始したのである。
 What kind of kototama is the great Kami’s spell “Ajimarikan”?
 Inspired by the report of Master Yamakage in “The Mystery of Shinto”, I started my quest because I wanted to find out the true identity of the great Kami’s spell “Ajimarikan”.

 

大神呪アジマリカンの正体:はじめに [Unmask Ajimarikan, the Great spell of Kami–Introduction]

 大神呪アジマリカンの正体 [Unmask Ajimarikan, the Great Kami’s Spell]

                 斎藤敏一
はじめに [Introduction]

 本論は、大神呪「アジマリカン」とは何か、その正体を明らかにすることを目的とする。
 山蔭神道という古神道の一流派に伝承された「アジマリカン」という呪(じゅ)言(ごん)に関連して、私(斎藤)が身をもって体験した「神」に関して、その実体や由来、効果等について探求して知り得たこと、また推察したことを紹介する目的で書かれる。
 The main subject is intended to clarify the real identity with the Great Kami’s spell “Ajimarikan”.
 In connection with the spell called “Ajimarikan” handed down in one of the old shinto sect called Yamakage Shinto, about “Kami” which I (=Saito) experienced in person, this paper is written to introduce Kami’s entity and origin and the effects, about which I researched and have been able to know, things that I guessed.

福島県清戸迫横穴墓渦:縄文時代のシャーマンは神が渦巻くエネルギーであることを知っていた [Kiyotosaku Ouketsu Tomb Vortex: Fukushima Prefecture: Ancient Japanese shamans in Jomon period knew that God was the swirling energy.]

 最初にお断りしたいのは、本論で使われる「神」の定義である。Kami(=神)とは日本語で「かく」「幽身かみ」、すなわち、姿の見えない神聖な実体を現しており、英語の「God」とは根本的に異なる存在である。Kamiとは日本的な神認識「一神即多神、多神即一神」の概念に裏打ちされた不可視の渦巻きエネルギーである。このエネルギーを体感すればアジマリカンも分かるし、アジマリカンを唱えればKamiも分かるというものだ。
 The first thing I would like to tell is the definition of “God” used in this paper. Kami (“神” in kanji) is a Japanese word for “hidden body”, “suttle entity”, that is, an invisible sacred entity, which is basically different from the English “God”. Kami is an invisible swirl energy backed by the Japanese concept of “One Kami equals to many kamis, many kamis equal to one Kami”. If you experience this energy, you can understand Ajimarikan, and if you chant Ajimarikan, you can understand Kami.

 一神教の神認識のあり方しか知らない方にとっては、ここが一番難しいところである。日本の古事記には古来より「ひとがみ」という唯一神の概念が存在するが、それは多神(=八百万の神)を含んでいるというのが、日本的神認識のあり方である。
 This is the most difficult part for those who only know how monotheistic God should be recognized. Since ancient times, the concept of monotheistic God “Hitori-gami (= Alone God)” have existed in Kojiki (= Record of old events) of Japan, but it is the way of Japanese god recognition that it includes polytheism (= eight million gods).

 本論は、筆者が体験した事実を記すという意味合いもあるが、目に見えない「神」という存在も、大神呪「アジマリカン」を朗誦したり念じたりすることによって体感可能であるということを示したい。
 すなわち、「『アジマリカン』というコトバの秘密を解明すれば、神の実在が証明される」という仮説を提示するという主旨である。
 This paper has some meaning of the fact which I experienced, but also clarify that invisible Kami could be able to be experienced with body sensation, by chanting or by reciting in mind the great Kami’s spell “Ajimarikan”.
 That is to say, the point of this paper is presenting the hypothesis “Kami existence would be proved by solving the secret of the word <Ajimarikan>”.

 前記の目的のために、筆者自身の体験や活動の概要も語られるが、「アジマリカン」という言葉の意味を明らかにするために必要と考えられるからである。本論で述べられる各種の情報は、「大神呪アジマリカン」の以下のような特徴を浮き彫りにするための素材であると考えていただきたい。
 For the above purpose, the summary of an experience and the activity of the me is talked about. This is because it is thought that it is necessary to clarify the meaning of the word “Ajimarikan”. I want you to think various information given by the main subject to be material to highlight the following characteristics of “the great Kami’s spell Ajimarikan”.

・「神」の存在を強く感じさせる。
・強力な呪言=コトタマであることが体験的に実証されている。
・浄化作用と創造作用の二面性がある。
・歴史、特に日本建国という出来事に関係が深い。
  ・It let us feel existence of “Kami” to be strong.
  ・It is demonstrated that it is strong spell = Kototama experientially.
  ・There is two-facedness of purification action and the creation action.
  ・Relations are close in a historical event, particularly Japan’s foundation.

漢字の神は渦巻きの象形である(大谷幸市『渦巻きは神であった』より) [Kami in Kanji (“神”) is a swirl pictogram (from Koichi Otani’s “Swirl was the God”) ]

 数年間の考究の結果、大神呪「アジマリカン」は日本の歴史上の特定の時点で、一人の人物に天降った言葉であると考えるようになった。そのことを明らかにするために『日本建国の秘密』という歴史的な作品を世に問うたが、未だに「アジマリカン」という言葉の意味を完全には解明できてはいない。本論では、従来にない様々な方面から「アジマリカン」の本質に肉薄したいと目論んでいる。どこまで成功するかは神の御心次第である……。
 After several years of research, the great Kami spell “Ajimarikan” came to be considered as a word that had fallen on a person at a certain point in Japanese history. I published the historic work called “The secret of the founding of Japan” to clarify it, but I cannot completely yet elucidate the meaning of the word “Ajimarikan”. I scheme to come close to essence of “Ajimarikan” by the main subject from various areas that did not tried before. It is at will of Kami to what level I succeed to…….

 なお、文中何人かの先人を批判するような個所があるが、批判のための批判ではなく、「神の道(=神道)」のあり方に関して忌憚のない意見を述べたかったからであり、他意はない。拙筆ご容赦願いたい。
 In addition, there are points criticizing the predecessors in some sentences, but this is because I wanted to speak a frank opinion about “the way of the Kami (= Shinto)” not criticism for criticism, and there is not any other intention. Please forgive bad writing.

用語 [Terms]

神 [Kami]:古代日本人(=縄文人)が認識していた渦巻く根源のエネルギーで、一神教のゴッドとは全く異なる実体。日本的な神認識においては、「一神即多神、多神即一神」という関係が成立しており、多神=八百万の神は一神より出たものと認識される。英語圏では神はゴッドだが、本論では神とは「隠り身」/「幽身」、すなわち、宇宙に遍満する波動的・エネルギー的な存在であるとしている。
 It is a swirling source of energy recognized by the ancient Japanese(= Jomon people), and Kami is a completely different entity from the monotheistic God. In Japanese Kami recognition, the relationship of “one Kami equals many kamis, many kamis equal one Kami” is established, and it is recognized that many kamis = eight million kamis originated from one Kami. In the English-speaking world, it is God, but in this paper, Kami is a “hidden body”/”suttle entity”, that is, a wave-like and energetic being that pervades the universe.

言霊 [Kototama]:通常は「ことだま」と読むが、本論では清音で「コトタマ」と表記する。アジマリカンという言葉には霊的な実体が伴っており、「アジマリカン」という音・響きはコトタマそのものである。実際に発音しなくても念じるだけで効果が発揮される。
 It is usually read as “Kotodama”, but in this paper it is written as “Kototama” in non-vocal consonant. The word Ajimarikan is accompanied by a spiritual entity, and the sound and tone of “Ajimarikan” is Kototama itself. Even if you don’t actually pronounce it, you can get the effect just by thinking about it.

一霊四魂 [One spirit and four souls]:幕末の神道家の本田親徳(ちかあつ)によって提唱された霊魂観で、神や人には荒魂、和魂、奇魂、幸魂という四つの魂(=四魂)があり、それらを一霊の直霊が統括しているという考え方。
 A view of souls advocated by the Shintoist Honda Chikaatsu at the end of the Edo period. The idea that the direct spirit of one spirit is in control.

とどめの神 [The final Kami]:大本開祖の出口ナオのお筆先『大本(おおもと)神(しん)諭(ゆ)』に登場する「艮の金神」の別名で、世界の建て替え・立て直しを行うと言われている。『大本神諭』には「とどめに艮の金神が現はれて…」と書かれている。斎藤説では、「とどめの神は大神呪アジマリカンとして顕現している」と語られる。
 It has been said to rebuild and restore the world with another name for “Ushitora(艮) no Konjin” that appears in Book “Omoto Shin-yu”, the automatic writing of Nao Deguchi, the founder of Omoto. In “Omoto Shin-yu”, it is written that “Ushitora no Konjin appears at the end of the world…”. According to Saito’s theory, “the final Kami is manifested as the great Kami`s Spell Ajimarikan”.

一厘の仕組 [The mechanism of One Bit]:大本神諭や日月神示で語られる神の計画のことで、特に最終段階のものを一厘の仕組と呼ぶ。未だに誰も一厘の仕組を解いた人物はいないとされるが、斎藤がアジマリカンを念じた時にとどめの神が降臨したので、一厘の仕組も解けてしまった。
 The plan of the gods spoken by Omoto Shin-yu and Hitsuki Shinji, especially the final stage is called the mechanism of One Bit. It is said that no one has solved the mechanism of One Bit yet, but since the final Kami descended when Saito prayed Ajimarikan, the mechanism of One Bit was also solved.

天皇行法 [Emperor’s ascetics]:天皇が実践すべき霊的な修行として、自霊拝とアジマリカンが存在することが、山蔭神道に伝わっている。これらの修行を総称して天皇行、天皇行法と呼ぶ。実際に皇太子や天皇が天皇行法を実践しているかどうかは未確認だが、佐藤定吉博士の著作『日本とはどんな国』によれば十分に想定可能である。
 The existence of Jirei-hai and Ajimarikan as spiritual ascetics that the Emperor should practice is transmitted to Yamakage Shinto. These practices are collectively called the Emperor’s ascetics and the Emperor’s ascetics. It is unconfirmed whether the Crown Prince and the Emperor are actually practicing the Emperor’s ascetics, but it can be fully assumed according to Dr. Teikichi Sato’s book “What kind of country is Japan?”

日本とはどんな国 [What kind of country is Japan?]:佐藤定吉による同名著作のタイトル。氏の著作によって斎藤はアジマリカン行者となった。同著内では、アジマリカンによる神の顕現、日本列島が神の国であるという体験などが語られており、斎藤も佐藤博士が語る体験と同様の体験を経てきている。
 The title of the work of the same name by Teikichi Sato. Saito became an Ajimarikan ascetic by his writing. In this book, the manifestation of Kami by Ajimarikan and the experience that the Japanese archipelago is the kingdom of Kami are talked about, and Saito has undergone the same experience as Dr. Sato talked about.

アジマリカンの降臨 [The Advent of Ajimarikan]:斎藤の同名著作のタイトルとなっているが、このタイトルは「アジマリカンを唱えると実際に神が降臨する」という事実に基づいている。アジマリカンで降臨する神とは、古事記の冒頭に登場する造化三神(天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神)である。
 The title of Saito’s work of the same name, but this title is based on the fact that “Kami actually descends when we chant Ajimarikan”.  Kami that descends in Ajimarikan is the three Kamis of creation that appear at the beginning of the Kojiki (Ame no Minakanushi no Kami, Takamimusubi no Kami, Kamimusubi no Kami).

アジマリカン行者 [Ajimarikan ascetic]:大神呪アジマリカンを唱えたり念じたりすることを専らとするアジマリカンの実践者をこのように呼ぶ。
 Ajimarikan practitioner who specializes in chanting and praying the Great Kami’s Spell Ajimarikan, is called.

目次 [Contents]

大神呪アジマリカンの正体 [Unmask Ajimarikan, the Great Kami’s Spell]
はじめに [Introduction]
用語 [Terms]
目次 [Contents]
第一章 私のアジマリカン体験 [Chapter 1  My Ajimarikan experiences]
◆「アジマリカン」と出会った頃の私的事情 [My private condition of encountering “Ajimarikan”]
◆神=「アジマリカン」で私に飛び込んできたモノ [Kami = the entity jumped in me with “Ajimarikan”]
◆私の「アジマリカン」体験の様相 [The aspect of my “Ajimarikan” experience]
◆「アジマリカン」は活き物? 探求の旅へ…… [Is “Ajimarikan” a living thing? To the quest journey…]
第二章 アジマリカンのコトタマ的属性 [Chapter 2  Kototama properties of Ajimarikan]
◆アジマリカン=そのものズバリの神 [Ajimarikan = the decisive Kami]
◆アジマリカン=とどめの神のコトタマ [Ajimarikan = The kototama of the Final Kami]
◆アジマリカン=天皇行法を構成する行法 [Ajimarikan = the ascetic practice that constitutes the Emperor’s ascetic trainings]
◆アジマリカン≠トホカミエミタメ [Ajimarikan ≠ Tohokamiemitame]
◆アジマリカン=「結び」の働き [Ajimarikan = The Function of “connection” (”musubi” in Japanese)]
◆アジマリカンとは造化三神の音声的顕現 [Ajimarikan is the phonetic manifestation of the three Kamis(=gods) of creation]
◆アジマリカン奉唱時のエネルギー場とは [What is the energy field when chanting Ajimarikan?]
◆アジマリカン発祥とイスラエルの関係 [Relationship between the origin of Ajimarikan and Israel]
第三章 アジマリカンの歴史的属性 [Historical properties of Ajimarikan]
◆「アジマリカン」の最大の秘密=イスラエルとは [The biggest secret of “Ajimarikan” = What is Israel? ]
【外なるイスラエルと内なるイスラエル [Outer Israel and Inner Israel]】
◆アジマリカンが天降った人・時・所 [The person, time, and place where Ajimarikan descended from heaven]
◆イスラエルではなく日本こそが中心 [Japan is the center, not Israel ]
土公(どこう) [Doko]
◆世界史上の日本建国の意味 [Meaning of the founding of Japan in world history]
第四章 個のアジマリカンと公のアジマリカン [Individual Ajimarikan and public Ajimarikan]
◆システムエンジニアが捉える神とは [What is Kami as a system engineer? ]
◆個人の「アジマリカン」が爆発的にヒットしたこと [The explosive hit of the individual “Ajimarikan”]
◆本当は「公のアジマリカン」を伝えたかった [I really wanted to convey “public Ajimarikan”]
◆「公のアジマリカン」を普及するための最善の方法とは [What is the best way to popularize “public Ajimarikan”? ]
最終章 結論ーアジマリカンは聞こえる神 [Final Chapter Conclusion – Ajimarikan is Kami that can be heard]
◆アジマリカンの正体とは [What is the true identity of Ajimarikan?]
◆未解決項目←要検討 [Unresolved items <- to be discussed]
①アジマリカン=コトタマ=直霊=内なる神 [(1) Ajimarikan = Kototama = Naohi = Inner kami]
②超能力や超人的修行は本当に必要か [(2) Is supernatural power or superhuman training really necessary? ]
③渦の御宝「アジマリカン」は大神の最終兵器か [(3) Is the vortex treasure “Ajimarikan” the ultimate weapon of the Great Kami? ]